午後の詩集
たま

空いっぱいの夕やけを見たいとHが言う


 寒くない?
 うーん、だいじょうぶ。
 今日はあったかいし絶好の夕やけ日和よ。
 どこがいい?
 うーん、
 海がすぐちかくにあって、川の流れてるとこかなぁ。

今日のHは気むずかしいかもしれない
そんな気がした


汐が満ちてきたのだろうか
屋根のひくい水上バスが通るたびに、河川敷のひろい
遊歩道に群れた冬日が波にさらわれて、隅田川の川面
にすべり落ちては濡れていく
対岸に林立する高層ビルの蒼く澄みきった視線が、河
川敷に佇むふたりをとらえて離さなかった
真冬の森のように
なにもかも落としてしまった素肌の街に
ふたりは迷い込んだのかもしれない

佃島の上空を
白い鳥たちが海に向かって飛んでいく

 ねぇ、東京のカモメはどうしてあんなに高く飛ぶの?
 ウ・・ン、それはねぇ・・。
 ねぇ、海はまだとおいの?
 ウ・・ン、あ・・、そんなことない。すぐそこだよ。

 夕やけ雲・・、見れるかなぁ・・。

Hはわたしの返事を聞いていないようすだった
たぶん、自分自身に問いかけているのだろう
肩がふれたまま手をつないで
冬の灯りをまっすぐ受けとめたHの横顔を見つめた
冬がくるたびに
森はそうして美しくなってきたのだと思った
飛びきり美人じゃないけれど
わたしのなかでは、いちばんのきれいだった

 やだぁ、なに見てるの?
 きみの横顔だよ。

 ン・・、おもしろくないひとねぇ・・。

Hは時々、そんなふうに感情を隠した
どうしてもわたしに見せたくない素肌をどこかに隠し
ているのだろうか

 あたしね・・、早くおばぁちゃんになりたいの。

 え・・。 どうして?

 ン・・。 あなたを見つけたから・・。

思いがけないことばが、孤空から落ちてきた
それはたぶん、Hの素肌から溢れたことばだったはず
すばやく肩を抱きよせて
うっすら紅のさしたつめたい耳朶をつよく吸った

 あ、ごめん。
 そうじゃなくってあたしね、
 早くおばぁちゃんになって、ちいさい詩をいっぱい
 書きたいの。
 それが夢なの・・。

ちいさい詩は、Hの素肌の森から生まれるのだろうか
こうしてHの傍にいたら、なぜかこのわたしも、詩が
書けるような気がした

 おっ。いいね、それ。
 かわいい詩集ができるとおもう。きっとね。

 うん。でもね・・。
 たいへんなの。おばぁちゃんになるのって・・。
 ほら、あんなにたかーい空の雲とおなじ気がするの。

そう言って、Hは隅田川の空を指さした

 あーー。
 ねぇ、ねぇ、雲がでてきたわよ。
 ほんとだぁ。
 すこし紅くなってるね。

 わー、きれい。
 猫のお腹みたいな雲・・。好きだなぁー、こんなの。


一瞬、空は息をとめて
やがてなにもかも紅く染めはじめた
それは、ふたりで編んだ午後の詩集の紅い表紙だった
かもしれない


すっかり日が落ちた隅田川に蒼い橋が灯った

 ねぇ、すてきね、あの橋。
 なんて名前なの?
 ん・・、知らないの? あれは永代橋だよ。
 
 ふーん。
 あの橋、わたって帰りたいなぁ・・。


あおい橋をわたれば
あたらしい年が待っているのよ、とつぶやく
Hを抱きしめて渉った












自由詩 午後の詩集 Copyright たま 2011-12-06 13:59:46縦
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