河口の地図 2011
たま

 1)

庇には樋がなかった
コールタールの屋根をはげしく打って 
雨は黒い路地に、まっすぐ流れおちた
ひくい窓を大きくあけて
わたしは雨の音を聴いたはずなのに
路地に敷きつめられたコークスの
燃えつきた 
かすかな炎の匂いだけを
いまは覚えている

貝柄町の祖母の家で
夕飯がはじまった
せまい土間に面した居間の板かべに
くすんだ茶箪笥がならんだ一角があって
まだ、育ち盛りだった叔父たちと
大きな丸いお膳をかこんだ
祖母は首にタオルをかけて
汗を拭きながら
お櫃の横にすわった
丸い顔に太いまゆ毛と、胡坐をかいた鼻
一家の主は祖父ではなく 
たくましい祖母であった

夕飯を食べおえると
祖母はりんごを剥いてくれた
外はまだあかるく 
だれかが紙芝居の拍子木を
カチカチと打ち鳴らしてあるいている
一切れのりんごを手にもって
わたしは路地に飛びだした
紙芝居のおっちゃんはいつも
土手のちいさなトンネルの入り口に
自転車をとめて
黄金バットをみせてくれた

茜色の夕陽を浴びてはしる電車は
大門川の鉄橋を渉り 
わたしと黄金バットの頭上をこえて
北の空に消えた


 2)

大門川と二本の鉄路が交差した
三角地帯に三十軒あまりの民家が軒をかさねていた
祖母の家族がいつのころから
その一角に住みついたのかはわからないが
わたしが母や姉たちと離れて
祖母の家で暮らしたのは五、六歳のころだった

西に面した鉄路は、高い土手の上にあって
リヤカー一台分のちいさなトンネルが
土手の底にぽつりと開いていた
祖母の家を出てトンネルをぬけると
砂ぼこりの道がまっすぐ
中之島小学校の校庭に向かってのびていて
夏の日の夕暮れ 
道はまだあたたかくて
ちいさなサンダルからはみ出した急ぎ足の小指が
小石を抓んでむずむずと痛痒くなった

ポリ袋に入った鋳物の飛行機が
ひくい軒下でまぶしくかがやいている
駄菓子屋の前をすぎて
校門の前の角を右折すると
歌舞伎小屋のような貝柄町の銭湯にたどりつく
今夜はどうしても
祖母の家の五右衛門風呂には入れない
月光仮面の夜だったから

おとなも嫌う熱い湯に首までつかるのが
わたしのひそかな自慢だった
銭湯の番台の上には
大きな目玉のようなテレビがあって
月光仮面のおっちゃんは
骸骨姿の悪人をかっこよくやっつけると
白いバイクにまたがって消えてしまうけど
おっちゃんはなぜか悲しそうだった
あんなに強いのに
いちども笑ってくれなかった

日が落ちて薄暗くなったトンネルをぬけて帰った
せまい路地に流れるラジヲの音
裸電球が温かくにじむ祖母の家で
おむつのような白い腹巻をして眠るわたしは
仔犬とおなじ夢をみていた


3)       

祖父はとても耳のとおい人だった
自転車の荷台にくくりつけた大きな木箱に
粗末な釣り道具を投げこんで
雨さえ降らなければ、荒浜までボラを釣りにいく

荒浜の海はいつも 
紀淡海峡を越えてきた北西の風がつよく
紀ノ川を流れ下った木片や雑多なごみが 
砂浜に打ちあげられ
さらに、隣接する石鹸工場から流れてきた汚水など
けっして、きれいな海とはいえなかった

松林の裾からまっすぐ海に向かって
伸びる波止があった
日焼けした男たちがにぎやかに群れて
丸太ん棒のようなボラを釣りあげていた
波止の先の赤灯台が
すっかり夕日に染まるころ
男たちは背をまるめて無口な街に消えた

祖父はボラを売って
たばこ銭を稼いでいたようだ
売れ残った日は夕飯のおかずになる
大きなボラにはヘソがあって
塩焼きにすると
こりこりとしてとても旨いものだったが
祖母や母にとっては
ありがたくない魚だったらしい

中庭に腰かけて機嫌のよい祖父は
友とふたり遊ぶわたしに
頭でカチ割れよ、といって
十円玉をひとつくれた
小さな駄菓子屋へ飛んでいったふたりは
あめ玉を買って五円ずつなかよくわけた

祖父の働く姿はいちどもみなかった
仕事をもとめて
本宮の山深い里を捨てたという
幼い父や、叔父たちを育てるために
好きな酒と煙草を得るために
どこでどんな仕事をして生きたのだろうか
きっと、あのボラ釣りが
さいごの仕事であったはず

自転車の荷台にくくりつけた木箱の背に
大きくつんぼと横書きして
とおい記憶の街を駈けぬけた祖父は
もう、ふりかえらない


4)   

父の笑顔をたったひとつおぼえている
目じりをすこしさげた 
面長の父が祖母の家のうす暗い土間にたって
わたしを呼ぶ

たきじ、単車にのってかえるかぁ
うちにかえったら
ええおもちゃ買うてきて、おいちゃあるぞ

父の声はきこえない
だけどその笑顔はいまも、そう語りかけるのだ

昭和三十年代の紀ノ川河口付近は
どこも材木の山であった
市堀川や築地川が水路のように交差した
そのせまい川面は
筏が埋めつくす貯木場となって
川の両岸には多くの製材所がならんだ
そんな築地橋のたもとで
父は建築資材となる鉄骨を組んで商売をしていた

河口の対岸には製鉄所があって
高炉は、くる日もくる日も 
この街の夜空をまっ赤にこがした

これからは鉄の時代や

そう叫んだかもしれない父は
からだも意思も、鉄のような男だったのに
わたしはひ弱な鍛冶屋の息子だった

黒い単車の
父の背にしがみついて
貝柄町のちいさなトンネルをぬけたのは
いつの日であったか
たぶんそんな日がいくつもあって
やがて
わたしは祖母の家を巣立っていった


5)   

丸くてやわらかい
母の背は
いつもしあわせの一等席だった

茜色の空の下をはしる電車は
土手の上の鉄路を
北の空に向かう
重なってゆれる車窓の人たちは
どんな理由があって
あのさみしい空の下に帰ってゆくのだろうか
きっと辛い思いをしているにちがいない
なぜかわたしは
母の背でそんなことをおもった

灰色の空は冬だった
陽はまだ高い時間であったはずなのに
街はひくく 
とおくで物悲しい響きさえした
わたしは自転車の荷台にすわって
途方にくれる若い男と
市堀川の橋の上にいた
きっと、迷子になったのだとおもった
こわばった男の横顔は街をみつめたまま
いまもふりかえらない

夕暮れの路地に
焚き木のけむりが漂うころ
祖母の家に帰りついたのだろう
母の背にしがみついて
どんなに幸せであったか
その日の母はうすいセーターを着ていて
それはみどり色であったはずだけど
茜色の空の下を走る電車の色は思いだせない
貝柄町の路地に立つ
母の記憶はたったひとつそれだけ
思いだせない電車の色は
いつからか
セーターとおなじ色をしている


父の商売はうまく軌道にのった
わたしも小学生になって
父や母といっしょに暮らすことになった
間借りしていた築地橋のたもとを離れて
西浜に三百坪の工場と家を構えた翌年のこと
父は夕食の居間でとつぜん倒れ伏したまま
三十四歳の若さで逝った
そうして
祖父も、祖母も 
父を追うようにして逝った

のこされた母は、姉ふたりと八歳のわたしをつれて
土手の上の電車に乗った
もう、だれもいなくなった祖母の家に見送られて
紀ノ川の長い鉄橋を渉った
北の空の下には
もうひとりの祖母がいて
わたしはまた
母や姉たちと離れて暮らすことになった


6)

道はまっすぐ
ちいさなトンネルへとつづく
記憶は積みかさなって歪んでいるけど
大気のように透明だから
いつも見えているのは一番とおい風景だ

わたしはいま、一番とおいところに立っている
およそ四十年の月日は、浅い川のようにせわしく
川底をさらっては足元を流れた

ちいさなトンネルに入ると
晩夏の陽射しが跳ねるアスファルトの道が途切れた
かたくて湿っぽい地肌の道は
あのころとまったくかわらない
手が届きそうなほどにひくい天井だった
何歩あるいただろうか
すっかり見慣れたはずの記憶の底にでた

ほそい路地に沿って無意味な空き地と
かたむいた廃屋にまじって
まだ生きている人たちがいる

ここはかわらへんよ、と
路地のおばさん

そうだろうか
かわらないのは地肌だけ 
もう何も、のこってはいない

わたしが愛した河口の街は
貧しい人びとが
鉄を灼き
鉄を曲げて、たくましく生きる街
かわろうともせずに朽ち果ててゆく
そんな愚かな街ではなかったはず

何もかもがとおい風景だと知った
こみ上げてくる切ない怒りは
みちくさをしたあとの後悔とおなじもの
夜店はもうおわったのだ

北の空から電車がやってくる
オシロイバナは、あの日とおなじ土手に咲いていた
五歳のわたしが手を伸ばし
晩夏の陽射しを摘んでいる
この陽射しが西にかたむくころ
どこからともなく
紙芝居のおっちゃんが自転車に乗って
やってくるかもしれない

一切れのりんごは
まだ、わたしの手のなかにあって

甘い香りがする













自由詩 河口の地図 2011 Copyright たま 2011-11-16 09:29:16縦
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