コンピューター、及びコーヒー、そしてタオルハンカチ
はるな


一秒に一京回の計算をするコンピューター。


夫は寝ている。多くの硬い毛に覆われた体。(それはそのままわたしの安心の形をしている。)それから、ぐったりと縮こまった性器。わたしにも早くペニスが生えてくればいいのにと思う。そしてそのペニスをどう使うかというと、勿論わたしの愛している夫の体の隙間に挿入する。


先月末、久々に新しい男と会った。会うのは二度目で、小さな飲み屋へ連れて行ってもらった。焼いた蛤とつめたい焼酎との組み合わせは心地よく、カウンターのへりに隠れて男は私の腰を数回触った。それで、部屋へ行って、玄関で立ったままセックスをした。靴を履いたままで、手をついた棚のうえには明らかに女物の香水の瓶。

駅まで帰る道では男は手をつないでくれなかった。


一秒に一京回の計算をするコンピューターは知能を持っていると言えるのだろうか?


コーヒーショップの主人に顔を覚えてもらったみたいだ。そこはちょっと高価なコーヒーで、炒るまえに豆を見せてくれる。見たって何がわかるわけではないのだが、しかし小さなボウルに入れられて手渡されたそれをくるりと回して見て、ええじゃあお願いしますと言いながら返す。すると主人が椅子を勧めてくれるので、彼が焙煎をしているあいだコーヒーを飲んで待っているのだ。そこで出されるコーヒーは豆を買う客のためのサーヴィスになっていて、今日はキリマンジャロです、とか、モカです、とか、(あとよくわからない難しい名前)。コーヒーは文句なしに美味しい。だけれど、特別不味いコーヒーを飲んだことだって、私にはないのだ。自分の生活にはちょっと合わないほど高価なコーヒーを買うということか、重要なことなのだ。



夫は使い勝手が良い、ということでタオルハンカチを好んで使う。私はあまりそれが好きではないのだ。見た目がなんだか野暮ったいし、すぐにへたれてしまう気がする。ぴしりとアイロンをかけたハンカチこそハンカチなのであって、タオルハンカチはハンカチではなくて小さなタオルだ。タオルを持ち歩くなんてあまり粋じゃないと思う。だったら手拭いのほうがずっと良い。
とはいえ夫はタオルハンカチを毎日使う。ハンカチを用意しても持っていかないのだ。タオルハンカチがへたってしまうとそれを雑巾にまわす。そのときに私ははじめてタオルハンカチの良さを感じるのだ。あれは、ちょっとした拭き掃除には使いやすいサイズなのだ。薄くて水拭きの際にも絞りやすいし。もう本来の役目を終えた布なので、気兼ねなく捨てられるということもある。
だけど、いまや手の中で油や埃を吸って薄灰色になった布切れが、かつては夫の頬や首筋を拭っていたのかと考えると、うすら寒い気持ちが胸を吹き抜ける。



恋をして季節が廻ってしまった。たくさんの物事をためしてみたけれど、どれもだめだった。どれもだめだったのだ。何をしても気持ちは遠くへ行かれなかった。そのうちに、根が生えてしまうだろう。


一秒に一京回の計算をするコンピューターは孤独だろうか?
一京分の一秒とその次の一京分の一秒にはどれほどの隙間があるのだろう?

でもその隙間は必ず存在する。

一秒とその次の一秒が手を繋ぐためには、どんな一京分の一の存在も欠けてはならないのだ。




散文(批評随筆小説等) コンピューター、及びコーヒー、そしてタオルハンカチ Copyright はるな 2011-11-15 00:46:57
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