堕胎
草野春心



  僕らがコンビニと呼んでいる
  長細い直方体には
  どんなものでも揃っている
  弁当もポテトチップスも
  洗剤や電池や、ティッシュまで
  だから僕がその日
  その、冬が始まりかけていた日
  コンドームの箱を眺めていたのも
  別に不思議なことじゃない
  愛する人よ、
  君と最後に話をしたのは
  もう二年近く前になるけれど
  こうしてコンビニに入って
  君の目を盗んであれを買うのが
  たまらなく好きだった



  その、どぎつい
  緑色の箱を
  僕が手に取ろうとしたとき
  一人の少女が、僕を見上げていた
  八歳とか九歳とか、
  それぐらいだ
  純白のシャツに
  鮮やかな赤いスカートをはいて
  少女は微笑している
  けれどもその瞳には何か
  雹を思わせる冷気が、こんこんと沈殿している
  僕が箱を手に取ると
  その鋭い視線が
  箱へと移動するのがわかる
  これが何なのか
  何の目的に使うものなのか、
  彼女は理解している
  そんな気がする
  おそらく、
  この世に生まれた瞬間から
  やがて僕は
  その箱をレジに持ってゆくが
  少女はその場に立っているだけで
  ついてはこない
  咎めるでも
  弁解を求めるでもない
  ただ冷たい視線だけが、僕の背中に
  ぴったりと粘着している



  袋を持ってコンビニを出ると
  薄暗い冬の朝が
  僕の肌をちくちく刺す
  空は低く硬く、雲は動きもせず
  ただ灰色に折り重なっている
  帰り路の途中
  写真屋や焼肉店の入った
  三階建てのビルがたっている、その
  ガラス扉を横目に見ると
  そこに映ったのは僕ではなく
  高そうなスーツを着た、髪の長い
  真っ赤な口紅を塗った女
  三十歳前後に見えたけれど、彼女が
  さっきの少女だということは
  すぐにわかった
  返して、と
  彼女は言う
  そして尖った顎で、僕の
  右手に持ったビニール袋を指す
  返して、
  彼女は繰り返す
  それはあなたのコンドームじゃないわ
  私のコンドームよ
  思わず僕が袋を隠そうとすると
  彼女は鏡の中から細い腕を突き出して
  袋をひったくると
  瞬時に姿を消してしまう
  僕は呆気にとられ
  痺れのようなものの残る右手を
  しばし黙って見下ろしている



  あれは本当に
  あの女のコンドームだったのか
  幾つかのビルを通り過ぎ
  公園のあるマンションを過ぎ
  一度だけ道路を曲がり
  僕は思う
  あれは誰のコンドームだったのか
  買ったのは僕
  でも別に使うあてもなかった
  誰のためでもなかった
  誰のものでもなかった
  けれども女は言ったのだ
  私のものだ、と
  その言葉は
  僕をかなしくさせる
  師走の風の刃は
  皮を剥ぐように背中に切り込む
  朝の道には
  まだ誰も歩いていない



  結局
  手ぶらのまま
  僕は家に帰る、それは勿論
  家というには不十分な安アパートで
  錆びたドアノブに触れるだけで
  誰しもがうんざりしてしまう代物
  それでも
  その
  冬が始まりかけていた朝
  玄関には、どこか懐かしい
  女物の靴が並んでいて
  僕がおそるおそる寝室に入ると
  ベッドには女が座っている
  二十歳ぐらいで
  髪は鋏をいれたばかりのようで
  それが君だということはすぐにわかった
  君はまったくの裸で
  まるで
  二年前の最後の夜から
  ずっと僕を待っていたみたいで
  けれどもその下腹は
  妊婦のように膨らんでいる



  僕は
  君を抱きしめたかった、強く
  もう二度と
  喪わずにすむように
  けれど僕が近寄ると君は、
  これはあなたの私じゃないわ
  私の私なのよ
  そう言って
  血塊のように赤いヴァギナに手を入れ
  緑色の箱を取り出す
  幾つも
  幾つも
  数珠繋ぎに
  コンドームの箱を
  堕胎させる
  何も言わず
  呻き声一つ漏らさず



  君の
  不似合いな腹の膨らみが
  見る見る萎んでゆき
  箱の数が五十を越えたあたりで
  君は静かに絶命する
  機械が動きを止めるように
  ベッドに倒れ伏す
  君と僕の間に残された
  血液や体液にまみれた
  コンドームの箱の山は何処か
  滑稽にさえ見えるけれど
  それは
  紛れもなく
  君の痛みの形
  それが君の受けた屈辱の形
  そうだよ、それは
  僕のコンドームじゃない
  君のコンドームだ
  そうだよ
  その通りだ
  愛する人よ、
  君と最後に話をしたのは
  もう二年近く前になる
  話と呼ぶには
  つらすぎるものだったけれど



  愛する人よ、
  僕はもっと激しく
  もっともっとぺしゃんこに
  君に踏みにじられるべきだった
  理不尽に磔にされ
  手足には鋭い釘を刺され
  何度も
  何度も
  何度も
  何度も
  馬鹿みたいに何度も鞭打たれ
  それから獰猛なナイフで
  少しずつ皮を剥がされ
  君の手によって
  君の脚によって
  君の
  しっとりと濡れた
  赤い女性器によって
  柔らかな乳房によって
  髪の毛によって
  薄い陰毛によって
  優しく輝く瞳によって
  僕は踏みにじられ
  破壊されるべきだった
  そうだよ
  その通りだ
  なぜなら僕はそのために
  この世に生まれてきたんだから





自由詩 堕胎 Copyright 草野春心 2011-11-14 21:36:22
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