ひらがなでかけばゆるされるかもしれない
木屋 亞万

おっぱい



おっぱいがすきだ
まえかがみになったとき
えりもとからのぞく
おっぱいのあたまがすきだ
ぶらじゃーがかぱかぱして
ちくびまでみえたららっきーだ

おっぱいがすきだ
よこをむいたときにうかびあがる
むねのりんかくがすきだ
ふくがぴったりすいつけばすいつくほど
あらわになるからだのまるみ
ぶらうすやすーつにおおわれて
はっきりとみえないのもまたすばらしい

おっぱいがすきだ
かばんをたすきがけしているひとの
きょうちょうされたおっぱいがすきだ
たにまにくいこむかばんのひもがにくらしい
しーとべるとにしめられる
おっぱいもまたおなじようにうつくしい
これからもどんどんとりしまってもらいたい

おっぱいがすきだ
はずむおっぱいがすきだ
はしれはしるんだおっぱい
とべとぶんだおっぱい
ねころべおっぱい
およげおっぱい
つくえにのれおっぱい

おっぱいがみたい
おっぱいがもみたい
もみしだくというのは
おっぱいのためにあることばだ

ほにゅうるいはおっぱいのしゅぞくだ
おっぱいをすってそだつものなのだ
いぬもねこもうしもやぎもくじらも
やきゅうせんしゅもそうりだいじんも
いしゃもかいしゃいんもひーろーもあいどるも
おっぱいをのんでおおきくなった

つきたてのもちのような
つきあかりのような
しろくてやわらかいおっぱい
おっぱいがすきだ
おっぱいがきらいなひとなどいない
おっぱいのないじんせいはない
のーおっぱいのーらいふ

ほらぬぎなさい
おっぱいをみせなさい
おっぱいをかいほうせよ
さあときはなつのです
おっぱいははばたく
とりのように
ちょうのように

おとなのおとこにとって
おっぱいはもうたべものではない
おっぱいはめでるものになる
ふれてなめてあいするものになる
おっぱいはしょうちょう
おっぱいはまぼろし

おとこのこはみんな
おんなのこのはだかがみたい
おっぱいがみたいとおもう
けれどはだかのおんなのこをみて
あまつさえおっぱいをもむことになっても
そのおとこのこはみたされることはない

つきにあこがれるうさぎのように
おとこのこはおっぱいにあこがれる
それはゆめだろまんだ
つきのいしをてにいれたうさぎは
よろこびこそすれまんぞくはしない
おっぱいをてにいれたおとこだってそうだ
ほんとうのおっぱいはてのひらにはおさまらないのだ
つきをただながめることしかできないように

おっぱいがすきだ
むねのことをかんがえて
むねがくるしくなるくらいにすきだ
ぼくのもとめるおっぱいは
えいえんにぼくのてにははいらない

のーおっぱいのーらいふ
まんぞくしたら
それでおしまいなのさ


自由詩 ひらがなでかけばゆるされるかもしれない Copyright 木屋 亞万 2011-11-12 02:10:14
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