パウルス・ポッター
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パウルス・ポッター

四百年の向こうから牛がしばらく自分を見つめていた
牧草が広がり、緑色から水色に薄い空気が融けていく低い彼方の地平線に建物の塔が棘のように刺さっている
遠く平地から此処まで、そんなに静かに見つめられても私も困る。
私も見つめているのだから。

あちらには牛、こちらには私が在るが間の距離が外に在るので牛も私もない。
牛も私も区別なく在るその牛に距離なく見つめられ
私の姿があなたの瞳の輝きに大きく映っている。青い光といっしょに。
あなたは私の瞳には入りきれない大きな牛だ。瞳に写った木陰から鳥の囀りが聞こえる。

その場所からこの場所まで一続きにつながっている。
あなたが牛であるように私は滑り台のように長い舞台の俳優として立っている。舞台は、変えられないがあなたの処まで行けば牧草であり、あなたは振り向きもせず草を食むがその先は教会の塔が見える町の先の地平線だ。それは私事とは言えない。
 私のことであるというのなら、あなたの、少なくともあなたの時代のことでもあるだろう。
  あなたは、それに対して何をしたのか?何もしなかった!(失敬、正直に仕えただけだった。若死にだった。)
   だから、それは私の私事とは言えないと言うのだ。

ここで私は舞台に立っている。台詞は、変えられない。が、それだけの事でもある。少しの差もなくそれがそれだけであることでも。仮に、台詞を書けるとして、何を書くのだろう。書かないこともできるのか。無益な詮索だ。太陽の軌道は意志に関係が無く引かれている。私がつかめない「私」が創り出したと言うのに。
あなたが草を食むように創られたように、私は例え創られていなかったにせよ台詞を吐くようにここに置かれた。
私の意志とは言いがたく、勝手に、ここに置かれた。
何度も考え込んだことなのだが、あなたは、牛ではないのじゃないのか。
神の使いということはあるかもしれないが、しかし、あなたはよもや神でもないだろう。
あなたは、謂わばミノタウロス、人であろう。そして、わたしも。語れば、いつも半分だけ在る。
だから、私たちはそのように在る。そして、それが私たち二人に見える神の影だ。だから、あなたはそんな風に寸分違わず牛だ。但し、寸分違わずあなたである私は草は食わない。
在り続けるかは知らぬが、あなたがそこに休んだそのずっと以前から、少なくとも今まではそうだったのである。
だから、解り合えるのだ。これが、保証書なのだ。
だからあなたは草を食み、わたしは台詞を話す。
さて、あなたはそのように高貴な魂を宿しているように、どうやら私にも些細な魂が宿り、
あなたは、そのように描かれた。
だから、私はこのように話したいと思うのだ:
 同じ草であるように、同じ台詞を、あなたが牛として食むように、話すにしても、
 あなたが、あのようにでもこのようにでもなく、つまり、そのように、ありのままに、嘘なく、虚飾なく、正確に描かれたように
 同じように、誠実に、台詞を吐きたい。全く同じ台詞を、しかし、愚直に。
 白状すれば、それ以外の動き方を知らない。
在る事から逃げているとは私には思えない。あなたを見ている、そして、あなたに見られている私は忘却に浸ってなどいない。だから、私は台詞は変えずにあなたとこのように話すのである。台詞はどうもそのように書かれるもののようなのだ。書かれる一行が一字消える毎に話す一字が一行に書かれて物になるのだ。あなたが牛から絵になったように。私は絵の具の膠にも劣る物になっていくものだ。流れの中で意志ある物と意志失う物として見詰め合っている物。克服などいらない。できない。





自由詩 パウルス・ポッター Copyright m.qyi 2011-11-04 16:59:25
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