つたの洋館
はるな


ティッシュペーパーに百円ショップのサインペンで絵を書いていたよね。いちばん毒々しい色合いになるからって。僕は意味がわからなかったけど、なんとなくかなしい感じにえがかれるティッシュペーパー嫌いじゃなかった。好きだった。
目を閉じてうしろむきに歩いたりさ。ちょっとずつ過去に進むとか言いながら。地球が逆立ちして粟立っていた。僕は意味がわからなかったけど、でもちょっと後ろめたいみたいなぞくっとする心地なら感じてた。
そのときにはそうだってわからなかったけど、でも確かにそこにそれはあったんだ。

「つたの洋館」を覚えている?
このまえたまたま通りかかったら、それはそのままそこにあったよ。暑苦しそうなつたを全身にからませたまま。駐車場になったり、でっかいマンションが立ち並んだりはしていなかった。せみの抜け殻をふたつ見つけた。
でもその先のあんぱんの店はシャッターが下りていた。その先にあんぱんの店、があるってことを、通りかかるまですっかり忘れていたんだけど。そもそもなんでそこを僕たちは「あんぱんの店」と呼ぶようになったんだろう?とりあえず、君ってこしあんが嫌いだった。つぶあんなら大好物のくせに。僕は意味がわからなかったけど、なるべくこしあんを避けて生きていたような気がする。

そのときにはそうだってわからなかったけど・・・・・・・

今ならいくつかわかる気もするんだ。
でも今になってからわかったからといってそれが理解するってことじゃないってことも、今なら。

とつぜん思い出すんだ。
僕は、だって、きのう恋人と赤福を食べたし。
でもとつぜん思い出すんだ。
忘れるのには、あんなに時間がかかったのに。

そのときにはわからなかったけど、僕たちはそこに二人でいたんだ。指輪を交換したりとか、訪ねた土地の数とか、そういうものじゃなくって、いっそ、二人で過ごした時間の長さだって関係なくって、ただ僕たちはそこにいたんだ。それだけがこんなに意味のあることなんて、そのときにはわからなかったけど。

この世界に忘れ物はなかったの?
僕は、もう届けてあげられないけど。
靴が好きだったろ?足は右足と左足、それだけしかないのに部屋がひとつ埋まるくらい靴ばかり持っていてさ。はだしでどこへでも行けるくさにさ。
髪は伸びた?長い髪にあこがれるって言いながら、いつも、すぐ、自分で切ってしまうから、寒々しいほど短い髪で。
それからぬるいシャワーも好きだったね。水みたいにぬるいシャワー。湯船に浸かるのはきらいなのに、贅沢なくらい勢いよく蛇口をひねって、何分でもシャワーに打たれていた。
僕にはわからなかったけど、でも、知っているつもりだったんだ。何を?何かを。

そのときにはそうだってわからなかったけど、君も、あのときに君のすべてを知っているわけじゃなかったんだ。
それが、そんなに、大切なことだって、わかるわけなかったんだ。
だから絶望することはなかったのに。
導かれるように、物事は、大事になっていくのに。

でもそれだって、いまになってやっと、僕はわかったんだ。
そのときにはまさかそれがそれだなんて、予想だにしなかったんだから。



自由詩 つたの洋館 Copyright はるな 2011-08-17 23:28:55
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