チアノーゼ
士狼(銀)

生きるとは呼吸、そして死は眠りだ。

エマージェンシー、イマージェンシー、イマジネーション。突如音のない世界に放り込まれ、治まらない耳鳴りに首に心臓が上がってきたかのような動悸がする。
そのいきものから拍動は感じ取れるも横隔膜の動きはなく、青紫に変色し始めた指先が呼吸停止を告げ、開始される人工呼吸、心臓マッサージ、張り詰めた手術室。蒼白な空気を肺いっぱいに吸い込み狂ったように繰り返される心肺蘇生、それはもう物になる可能性に占められていても、頭の隅では分かっていても、弱々しいぼくたちは諦められないのだ。
たかがイヌ一匹、たかがネズミ一匹、それでも生きているひとつ、生きていたひとつ、可能性がマイナスに振りきれるまで戻ってこいと一心に酸素を送る。
なんて滑稽なんだろう、苦痛を与えない倫理に従って、瞬間で脳を焼き瞬間で首を落とすくせに、毎日の屠殺は気にも止めないくせに、
それらに4つの感情しかないと知っていてもどこかで疑っているのだ。
恐竜の化石を国際単位の陰謀だと仮定して楽しむように、ずいぶん昔の心優しい意地悪な神様が未来のぼくたちの生活が快適であるように彼らには高度な感情がないとぼくたちより前の科学者に思い込ませたんじゃないかって、むしろそうであることを望んでいる、そんな澄んだ虚ろな眼で裁かれるには、ぼくたちはあまりに汚れて脆弱すぎるから。
目を覚ましたらぼくたちは研究所のネズミで、少ない感情を操ってケージの外に思いを馳せる、何も分からないまま眠ったらもう二度と目覚めない。
あぁそうだったらどうしよう、どうしよう、いつ死んだっていいとかつて口にした言葉を何度も何度も咀嚼するのに飲み込めない、
この長い夢から目覚めるのはどうしてこんなにも恐ろしいのだろう。

呼吸するように死に、眠るように生きる、彼らの中に自分を見つけたら瞬間で振り切るしかない、でないと、破れ始めた真実に殺されてしまうよ。指先からチアノーゼ、高い音で迫ってくるサイレンに呼ばれている、

次はきっとぼくの番だ。


自由詩 チアノーゼ Copyright 士狼(銀) 2011-05-23 22:57:30
notebook Home 戻る  過去 未来