ウォーホルの雪だるま
「Y」

 ニューヨーク近代美術館の地下ギャラリーに、「ウォーホルの雪だるま」はあった。
 その雪だるまが彼の手によって作成されたのは、1965年のことだ。
 
 僕がそれを見たのは大学を卒業した年の春のことだったから、ずいぶん昔のことになる。
 ニューヨークには、格安のチケットを二枚手に入れて、そのとき付き合っていた恋人の真里と一緒に行った。
 「ウォーホルの雪だるま」を見る計画は、旅行に行く前の一番最初の段階から、プランに組み込まれていた。真里がウォーホルのことを非常に好いていたからだ。ウォーホルの偉大さがどんな質を備えているのか、残念ながら僕にはよく分からない。ただ、ウォーホルというアーティストが、いかに偉大な存在であるのかを、彼女が僕に向って懸命になって説明する様子は、とても面白くて印象的ではあったのだけれど。
 その年のニューヨークの春は、記録的な寒波に見舞われていた。
 ウォーホルの雪だるまより、むしろその烈しい寒さの方が、僕の記憶の奥に刻みつけられているほどだ。
 真里は雪だるまを見る前から、とても興奮していた。
「だって、ウォーホルの雪だるまだよ。汗をかいて、せっせとこしらえたんだよ。あの人が自分で。ねえ。信じられないくらい、凄いことじゃない?」
 瞳を輝かせながら、真里は僕に向かって言った。
 ギャラリーの中央を貫く廊下の突き当たりに、「ウォーホルの雪だるま」はあった。僕たちは、名だたる芸術家の大作をスルーして、「雪だるま」へと向かった。
 低温に保たれた透明な水槽を思わせる小部屋の中に、雪だるまは置かれていた。手前には、証明書らしきものが展示されている。
「……これが、アンディ・ウォーホルの雪だるま?」

「ウォーホルの雪だるま」は、どう見ても、雪だるまには見えないのだった。単なる雪の塊だとしか言いようのない代物なのだ。もちろん、目も鼻も口も無い。
「だけど、作品集には、ちゃんとした写真が載っているのよ」
 うつろな目で、透明な小部屋の内側にある雪の塊を眺めていた真里が、ぼそりと呟いた。
「……じゃあ、目とか口とかも、あったのかな」
「もちろん、あったよ」
「じゃあ、なんでこの実物は、ちゃんとしていないのかな」
「この前説明したでしょう?警備員が、空調設備のスイッチを切ったのよ」
「なんで?」
「その警備員が、アンディの熱狂的なファンだったから」
「なるほど」
 
 その晩、5番街にある安ホテルのベッドの上で、僕は真里に言った。
「やっぱり、あの雪だるま、面白かったよ」
 真里は僕に訊ねた。「どんなところが?」
「半分溶けてしまって、雪だるまじゃなくなってしまうところがさ」
 そのあと僕と真里は、雪だるまの展示室の空調をOFFにした、若い警備員のことについて話し合った。器物損壊の罪は重いが、なかなか面白いことをした。というのが、僕たちの結論だった。

 あの旅行から半年後に、僕は真里と別れた。彼女は勤務先の同僚と結婚し、それから二年後、その結婚相手と冬山で遭難し、二十六歳で命を落とした。登山は結婚相手の趣味だった。
 僕は三十歳になる前に結婚し、平凡な勤め人を続けていたが、昨年の春先から肺に癌が見つかり、その日から闘病を続けている。まだ生きる気でいるし、主治医も大丈夫だと言ってくれるけれど、転移性の癌だから、どうなるか分からない。
 正直なところ、妻や娘の僕に対する態度が、あまりにも優しすぎるので、もしかしたら駄目なのかもしれないと思っている。

 夜、病室のベッドの上で横たわっていると、なぜか、ウォーホルの雪だるまを思い出す。警備員に冷房を切られて、ゆっくりと溶けていった、あの雪だるまのことを。

 あの雪だるまは、まだ、あの場所にいるのだろうか?


散文(批評随筆小説等) ウォーホルの雪だるま Copyright 「Y」 2011-05-23 21:29:02縦
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