赤鼠、白狐 ver. 2
mizu K



あまつぶ音のぽつぽつと頬にあたってくだけ流れるので、となりの人はそれを涙だと勘違いしてたいそう驚いている、驟雨がいっときたたきつけて去っていくと、雲の端は信じられないほどに光にあふれている、わたしたちの真下は依然として、くらい、くらい、だがまたきたよ、またあいつだ、そういわれて見上げると、どしゃぶりがまたくる、音もなく、粒音が耳のうしろからうなじをすっとなぜて背中のすきまに入りこんでなぞりまた腰をすうとさらっていったような感覚、かんかく、かんかくだけがして背筋はおろか心臓も胃も腸壁もあごのつけねもぞくぞくとする、みぞおちを圧して花火が打ち上がる、音もなく

その日は数年にいちどの大祭であった、参道はおろか出店までも圧されて、崩れ、わたしととなりの人の足がなんどか入れかわってしまって、もとにつけもどすのに相当難儀するほどの人の出で、空白がないので、いきもくるしい、樹齢数百年の古木がひきずり倒されている、木が倒されるとそこに、ぽっかりと穴ができる、そこから上空の湿気がじゅわっと降りてくる、それを浴びて、人々はすくすくと成長する、だがわれわれはもうすでに極相にたっしているのだ自重せよ、自重せよ、なくばわれわれは亡ぶ、ほろぶ、転がるように、ほろぶ、そういう題のビラをまいている男がいる、男は懸命に声をからしビラを人々の鼻先につきだすが人々は雨の心配ばかりしててんでにあらぬ曇天をながめててんでに千鳥に歩いて人を押す、ビラ男は押されて橋の欄干から手だけひらひら見えていたがやがて消えて、その後の行方はようとしてしれない、そっちのほうじゃないよ、あぶないよ、わたしはとなりの人の手をにぎり、はなさない決心をしていたのだが、いつのまにかはぐれ、まったく知らない人と手をつないでいた、苦笑してあいまいにあやまろうとするが、知らない人は面をかぶっているので表情は判然としない、面の瞳孔にすいこまれる、奥のおくの方まですいこまれる、すいこまれた暗いくらい先から、ほ、と発火、花火が上がる、音もなく、人がいっぱい、もうすぐその橋は落ちてしまうから、だれかの警告も届かない、人がおちる、ひとがおちる、君がおとすのだ、これから、これから君が、だからあぶないよと先に声をかける、となりの人はもういない

川原で火をつけて川に投げ込んだ、それは、あ、なんどもなんども投げ込んでなんどもなんども投げ込んで、投げ込んで、投げ込んでもさっぱり燃えずにぐじぐじいってじゅうと消尽してしかたがないから、ま、油をどくどくそそいだ、照らされてぬらりとして、川とまじわりもせで、なめるように、なめとるように、なめつくすように、浸食していく、それがわたしにはなんだかこころよい、そそいでる最中であるから暗い目をして川面を見つめていた、川面はぬれていた、ふしぎとぬれてひかっていた、あの水草のかげに何かなにかがひかっている、そのようなこころもちがしてよくみようとして体をのりだすその機をねらわれた、ねらわれた、見事にねらわれた、頭を殴られて気を失った、つ、失って気がついた、気がして目をひらいているはずだが油が膜をはったのか見えない、みえない、はっきりとみえない、視界の外からなにかがのぼる、しゅるしゅる、しゅるしゅると、水蛇のようだ、溶けていくようだ、花火がうちあがる、見上げた夜の、花浴びして、とりどりに花弁をしぼったように、したたる、した、した、落下していくぬれた火花の、くくる、くるくる、くくる、くるくる、橋の欄干からも無数に伸ばされた手、ただ手、白い手が、無数にひらひらとのぞいた手のひらから、花が放たれる、くくる、くるくる、くくるく、意図して打ち損ねられた火花がくるりと顔色を変えてにたりと笑いながら、下へ下へ、川原へ降りそそぐ、倒れてるわたしにも降りそそぐ、ぶ、あつい、あついと、めだまにはなにみみにしたに、ちりちりと降りそそぐ、焼ける目のまま動けないのならば仕方がないと、わたしの影絵たちが踊る、ふたたび降る、ふたたびあまつぶ、あ、あつい、あついと顔の見えない影がひらひらと踊る、滑稽に踊る、軽薄に踊る、それを見る人は、天上の欄干だ、雲上の気分だろう、橋のひとたちは見事にうち興じている、見ろ、だれかがねずみだ、だれかが、ねずみだ、だれか、知らないだれかが、ま、ねずみだ、あのかわいそうな人に火花を投げつけているのはだれだ、隣をみる、隣のうでをつかむ、だれかにつかまれる、だれかに睨まれる、だがわたしでない、わたしではない、わたしでもない、わたしではないのだろう、君だ、それは君だ、まぎれもなく、おまえだ、わたしたちは見ている、舌をなめずりながら、よだれを垂らし、濡れてる、やつの頭は、つ、血みどろ赤ぐろい見ひらいた眼球にむけて、火花をすいこむ暗いめだまにむけて、花をいっしんに、浴びぬれているおまえは、ねずみと呼ぶ、呼ぶ、ぶ、にぴったりだと、祭りだからと、みたびあまつぶの騒ぎのさなか、狐の面がゆらゆらと、おぼつかぬ足もとで、火をゆらし、橋のふくらみ、真ん中を、木立を、無数の白い枝々を、白い足でぬっていっても気づくひとはいない

また村のはずれで白狐が出て、ひ、辻斬った、縁切りのまじないもきかなんだ、縁取りされた顔の、びゃっこ、走りとんだしぶき、ひ、菱形の、口角のあぶく、夜に、きつね、ぼぅとうかんだ、ほの白いのは、ひ、悲鳴とともにきこえるのは、火だ、あぶらだ、塗りこめられた、あぶらだ、それは呼ぶ、それは呼ぶ、それはそれは、ひ、火だ、おそろしい、おそろしい

あまつぶを、あと、待つ、舞台のはしを、埋没したおぼつかない足もと、欄干がかしいでかたむいて、橋桁がほろほろ、ほろほろほろほろ崩れていく、みんな打ち上がる花火を見上げている、みんなかるく口を開けて笑っている、傾きながら、ざわざわとさざなみが起こるように人々は笑う、きれいだね、ああ、きれいだね、とてもきれいだね、ああ、とてもきれいだ、とてもとてもきれいだね、ああ、そうだ、とてもとても、きれい、だ、すばらしくきれいだ、ああ、ああ、ああ、ああ、それから、あー、あのねずみまだいるよ、あいつはきたないね、ああ、そうだ、あいつはきたないね、ああ、きたないきたない、とてもきたないね、ああ、とてもとてもきたない、とてつもなくきたない、あいつはここにいなければいいのにね、あんなひとにはなってはいけませんよ、かわいそうにな、血だらけで、ああ、かわいそうだ、とてもとてもかわいそうだ、さっきまであんなにたのしそうにたのしそうに、な、ねずみ花火に踊っていたのに、な、ぴくりとも動かない、あはは、ああ、そうだ、あれはねずみだから、ははは、彼らの笑っている理由を、わたしは知らない、し、ひとびとの傾斜する笑顔はどれもうつくしい

はたしてこの雨は、はしはしと耳するこの雨は、天蓋のむかう空に手向けて、ひかれるように降り上っているのか、はしはしと感情もなく落ちて、顔をたたいているのか判然とせず、不明瞭なかたちに口を、ほ、と開けてほうけてしまった、その混濁して川原に倒れたすがた、極彩色の夜空とにじんでいくその花の輪、かすかに動く血ぬけてかじかむ左手をかざしていたらば、すうと何かがよこぎり、ふたたび視界がかげり、声はぼやけて遠くへ去り、ああ、死ぬのか、と思ったが、先の、ただ大勢のひとびとが、声もなく、音もなく、叫びもなく、悲鳴もなく、崩落もなく、瓦解もなく、橋からはらはらと転げ落ちて、とめどもなく、とめどもなく、とどまりもなく、ただ星のように降ってくるのであった





自由詩 赤鼠、白狐 ver. 2 Copyright mizu K 2011-04-30 02:45:01
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