【批評祭遅刻作品】殺し、やわらかい雨の中で(山茶花オクリ讃1)
渡邉建志

聞こえて来るものがある。遠い過去から聞こえて来るものがある。それでもそれは今ぼくの耳元で鳴っている。ノイズ。新宿のエスカレーターを下っていく友人を見ながら、私は友人がこれから会いに行く人のことを考えていた。今の時を生きながら過去の時を生きることもできるのだろうか。帰ってきた友人はたぶんそんなテーマをぼくに差し出した。ぼくはただぼくがその光景にいなかった会話のことを見ただけで、そのテーマについては深く考えなかった。それからしばらくぼくは、詩人の会話というものは、そういう周りの人が光景としてしか捉えられないものであるべきで、その詩人同士ですら、ロゴスの世界では咬み合っておらず、もっと外延したところで繋がっていて、でもそこでは多分しっかり噛み合っていて、その時の会話の時は一瞬だったほどだったろうと思うのだった。


わたしは転載をする。読み終わってもう十分であればその後に続くだろうわたしの感想文など読まなくてよいと思うし、たぶんそのほうがいいのだと思う。わたしはただこの作品をまず読んでほしいし、おまけとしてわたしを、この作品を通して生き直したいけれど、それは二次的な欲求に過ぎないので。わたしは多分淀川さんになりたかったし、わたしは多分今でも淀川さんになりたい。詩の前と後ろに出てきて、興奮しながら映画の一シーンを、(たった一シーンを!)、興奮してどもり詰まりしながら「見ましたか、ジョン・トラボルタの、あの足! 足! 足! 腰!! なんともしれんあのダンス!」と繰り返すあの人は、話しながら映画に同化するあまりに日本語が不自由になり、代わりに映画語を話していた、ように。批評が映画に勝てないので映画を擬態するように長く書くと言った人がいたように思う、ように、わたしはひとつのフレージストとして、好きな一節を繰り返し繰り返し好きだと繰り返したい、




ノイズ  山茶花オクリ


 喘ぐように女は唄います。ギターの音は重層したかと思えば、散らばって徘徊す
るようでもありました。
 ひと気のつかない静まりかえった市道に明滅するテールランプ。そういう光は目
に見えない速度を感じさせてくれたりします、車中に篭る音を残して。タ、タ、
タ、ン、……。小走りに駈けてきたハミルは、コンビニ袋を提げた手で、ミニ・ク
ーパーの窓をこつきました。
「買ってきたよ」ハミルはガラス越しにもたれかかっているムスカに呼びかける
と、返事を待たず運転席のあるほうへ廻り込んでいきます。ガッチャ。市道といい
ましたが民家に横附けされていたので、ドアは擦れないようにそっと開かれまし
た。飛び出した音はすこし胸に響くものでしたが、それは耳が敏感になっているせ
いなのだとハミルには分かっていました。
「聞いてくれよ、今行ったコンビニさ、レジの前に和菓子の棚、ないんだぜ」狭い
車内には、黒黒といかにも古めかしい大柄な器材が積み込まれていました。ハミル
は腰を窄めて席に着きます。さっそく買ってきたみたらし団子(3本入り)とアメ
リカン・コーラ2缶、TVガイドを膝の上に広げて、「まいっちゃったよ、
「え、なに?」ムスカは気のない返事をします。これは、この時刻のムスカの口
癖。やむなくハミルは括弧を、綴じました。
 車内に封じられているこの心臓に突き刺さるような鳴動は、石原洋『パシヴィ
テ』。けしてムスカの愛すへき音楽というわけではありません。盗聴音のカモフラ
ージュに間に合ったという、それだけの附き合いです。
「火をくれよ、」ムスカが謂いました。よく磨かれたミニの窓はいつも真透明で、
道路側に坐るムスカが器材を弄るときには、ハミルは手で覆ったライターを翳す係
です。細心の注意を払うムスカに、ハミルはわくわくした試しがありません。ただ
ムスカのチンピラぶりったら、いつぞやに自販機の前に車を停めたときなど酷く、
冷却器のブーーーン、に「車を出せ!」と怒鳴れば、目玉を剥ききって気絶するこ
とがありましたし、眼科ひとえにはその後も2回通っています。不憫であるとは同
情を強いることです。
 なにか調節をしたのか、女の声は鮮明になっていきました。鼓膜をくすぐるよう
な、パン、パン、という音に口端で泡がはじけるような錯覚を感じたハミルはシャ
ツの袖で口許をごしごしと拭いました。よくあるごとですが、ハミルにはなかなか
馴染めません。色んな音に畳み掛けられているうちに背中が痒くなったり、もぞも
ぞしてみたり、くすりと笑ってみたりもしました。
「今日、来てよかったろう」ハミルの様子を見てムスカは満足そうに謂います。
「うん」ハミルは返答に困りました。ハミルは盗聴という行為に特別、関心を持て
ないでいるのです。頼まれるままに簡単なことをこなしているだけです。そりゃ、
こんな音を聴かされたら誰でもむずむずするってもんさ、そう思うばかりなので
す。
「え、なに?」
 目を反らしたハミルは、シャッターを大写しにした横窓を、指でなぞりました。
「テ・ナ・ン・ト・募・集・中」ああ、そうか、この構え。ここは昔、店を開いて
たんだな。誰も住んでいないならシャッターは下ろさないほうがいいのに。何屋だ
ったか、その生活した足跡も、一目で分かるのだから。本心のところ、ハミルには
どうでもいいことでした。
 向き変えて前面、フロントガラスの彼方には星ひとつありません。その手前に輪
転しているボール塔をぼんやりと眺めることにしました。くる、くる、くる、まっ
たく美しすぎる光球です。あそこには大勢の、こっちに帰ってこれないひとたちが
住んでいるんだ。ハミルはなにかを思い出すように謂い零しました。帰ってこれな
い。ハミルはボール塔の灯の下を想像し始めました。

 そこはひとつの町のようでした。てらてらと金銀の光を浴びた、酔っ払いの呟き
やタクシー運転手の喫煙でごった返していることでしょう。「たにん」のことを
「ひとさま」と呼び、近づくまいとしているようです。そうした中にハミルのおか
あは駅の入り口をハミルの見知らぬ闘牛士と歩いています。
 血が染みても洗わなくて済むほどの真っ赤な布にハミルのおかあはくるみこまれ
ています。周囲を見渡したところ、ファッションというわけではなさそうですか
ら、やっぱり彼は闘牛士のようです。よくよく見ると腰にサーベルも差していま
す。
 ハミルのおかあの頬っぺえはこれまた赤く、浮かれた顔をして上向きに顎を尖ら
せていますが、化粧もけっこう汗に流れているようです。ヒール附きの靴なんて普
段履かないからちょこんちょこんとつまずくのですが、誰も気に留めてくれないの
でハミルは見ていて恥ずかしくなりました。
 派手といえばハミルが物心のついたときから派手でしたが、普段ならあっぷりけ
のエプロンに安全ピンが山ほど留めてある、そういう妙ちきりんな派手なのです。
ハミルはそうしたおかあを恥じたことは一度もありませんでした。プラダのバッグ
なんて持っちゃって……。外套から見え隠れする鞄はハミルには信じられないアイ
テムでした。
 ハミルがハミルの知らないおかあに仰天しているうちに、二人はきっぷ売り場に
やって来ました。そこでとうとうハミルのおかあは寄り添っていた肩を闘牛士から
ふっと離しました。間(あわい)に小動物が消え入りそうなくらいにふっと。一度
ぎゅっ、と手を繋いで、やがて二人は小さく手を振り合いました。外套から出たハ
ミルのおかあはひどく刺激的な服を着ていました。90年代初頭のボディコンで
す。そのハミルのおかあの目尻が光ったような気がしました。ハミルの心は仰天し
っ放しです。
 ハミルのおかあが間の抜けたように佇んでいるので、闘牛士を追ってみました。
「ハッ、ハアァ、」闘牛士は余韻に浸れるほど呑気にはいかないのでした。すぐさ
ま駅から大通りに飛び出すと外套をはためかせ、暴れている牛どもを一匹ずつ倒さ
ねばならないのです。闘牛士がサーベルを抜きます。先刻はこんなやつら居なかっ
たじゃないか、ハミルは叫びます「負けるな、まけるな」。ハミルの声は恐らく届
かなかったでしょう。ですが闘牛士は目にも止まらぬ速さでこてんぱんに牛どもを
やっつけました。ハミルは拳を突き上げて喜びました。「エイ・ヤー!!」
 駅構内に戻ると、ハミルのおかあはコインロッカーの前に居ました。すごすごと
プラダのバッグから皺々になった布きれを取り出して、そこに財布やらハンカチや
らを移し替えていました。そしてその脹らんだ布きれを腰に巻き附けました。ウエ
スト・ポーチでした。ハミルはほっとして、プラダのバッグがロッカーに仕舞われ
ていくのを見守りました。
 にしてもよくつまずくハミルのおかあでした。三歩進んで二歩下がるような不恰
好だなぁ、それでいて二歩下がらないところが腹立たしいよ、とハミルはぼやきま
した。階段ではパンツ丸出しです。階下では年増のミニ・スカートから覗くパンツ
をやく・みつるが珍しがっていました。
 やっとごとでハミルのおかあは駅ホームに上り詰めました。電光掲示を見る限り
では行き先はどうやらハミルの家の方角ではないみたいです。ちょこんちょこん。
どこに行くんだろう。ハミルは謂います。どこに行くってのさ。ハミルのおかあは
ホーム端の白線で立ち止まろうとしました。案の定、こけたのです。どこ!ハミル
のおかあの図体が頭から滑降します。二、三度線路に跳ねて、ドシャリ、ハミルの
おかあはしゃくれた顎を擦り剥きました。
「電車が通過いたします」

(電車が通過いたします)

「おい、ハミル、おいったら」ムスカの声が聞こえたような気がしました。
「あん?」ハミルはぼんやりとボール塔を眺めています。隣の席を見遣ると、相変
わらずムスカはじいっとスピーカーに耳を傾けたままです。ハミルはボール塔のほ
うに向き直して、それから口を開きました。
「ねえ、あのボール塔が廻りつづけるのって中のひとを誰も出口に通さないためっ
て学校で習ったんだけどホントかな」
「え、なに?」
 パシヴィテ。
 ハミルはしどけなくいつの間にやらみたらし団子を三本とも平らげていました。
パン、パン、と車の屋根を撃つ音がしてからまもなく、ざあざあと雨が降り出して
いました。ボール塔はハミルの目から一気に霞んでいきました。
「そうだハミル、コーラ開けてくれ」ハミルは大切な瞬間を掬われたような心地に
なりましたが、笑いながら、
「また爪噛んじゃったのかよ」缶のタブを開いてムスカに手渡します。
「え、なに?」
 二人の喉をアメリカン・コーラの流れる音が、しました。
「やっぱアメリカンは最高だぜ、なあハミル」ムスカがハミルの肩を叩きました。
「イエス。でも糖分が多すぎるのが玉に瑕だな」ハミルは缶を振って答えます。
「え、なに?」
 パシヴィテ。
「お母さん、まだまだ元気そうだ」ハミルは誰に話しかけるでもなく謂いました。
「ああ」同様にムスカも。
 ハミルがCDを止めました。雨は激しくなってきていました。
「しかしこれ飲んでるとアメリカに居るような気がしてくるんだもんなっ、これが
ホントのベイ・ブリッジってか?ウシシ」ムスカの横顔の陰翳にはハミルの悲しみ
が寄生しています。ハミルはそう思いました。
「さっき知ったばかりだ、闘牛士はね、こうやって牛を刺すんだ」ハミルはみたら
し団子の串を掴んでムスカの頚動脈を刺しました。
「え、なに?」刺されました、刺されました、刺されました、刺されました、刺さ
れました、刺されました。
「血ってさ、よく燃えるんだろうかね」ハミルはライターを点します。
「うまくいくじゃない」七つの穴から噴き出した血が照らされて虹のように見える
のでした。
 己から立ち上った虹をムスカはただただ見初めています。
 ハミルはこの虹をくぐった向こうの世界を想像し始めました。すると助手席側の
窓ガラスに映るハミルの人相。ハミルは首を振ります。
「ちがう、その果て!」力いっぱい込められた声でした。ハミルは向こうの世界を
飛びたいとして再び鳥になります。
 そこはひとつの町のようでした。てらてらと……
 ハミルはひとつひとつを辿っていきました、確かめました。だから、淋しくな
り、心細くなりました。ハミルの行き着ける場所がもうずっと、おんなしなのだと
知ってしまったのです。ハミルは窓を開けました。とてもやわらかな雨でした。
 おかあの唄は二人の星を輝かせます、雲も越えて。
「今度、ヘッドフォンを買ってあげるよ」ハミルは謂いました。
「え、なに?」ムスカも窓を開けました。半身を芋虫のように乗り出したムスカは
深呼吸することそれきり、動かなくなりました。
 残響、
 あっという間の。
 ハミルは串でシーハーしました。
 シートを後ろに倒しました。
 眼前の世界はだんだんと水玉模様になりました。つまり、穴あきだらけの。
「今週も来週もおもしろそうな番組がひとつもないや」TVガイドをぱらぱらと捲
りながら、ハミルもいつか微睡へ落ち窪んでゆくのでした。



























































http://www.rondz.com/poem/poet/25/pslg24224.html#24224















語り口は紙芝居を読む女の人のように丁寧です。

喘ぐように女は唄います。ギターの音は重層したかと思えば、散らばって徘徊す
るようでもありました。

最初から、

TVガイドをぱらぱらと捲りながら、ハミルもいつか微睡へ落ち窪んでゆくのでした。

最後まで。
その丁寧な口調で語られるのは、殺意なき殺しです。端的に言えば。そのことにいつもわたしは驚愕する。でもその話はもっとあとで。
この書き出しから、わたしははっとする。引用しようとして(法律用語では転載というのだろうけれど、今後すべての引用は転載と読み替えてください)、どこで区切ればいいのかわからないぐらいずっと、歌だ。

 喘ぐように女は唄います。ギターの音は重層したかと思えば、散らばって徘徊す
るようでもありました。

この二文だけでもうお腹いっぱいなぐらいゆらめいて歌なのに、ここで区切ってはせっかくの歌が台無しなぐらい、掛かってまだ続いていく。
徘徊するようでもありました。)

 ひと気のつかない静まりかえった市道に明滅するテールランプ。そういう光は目
に見えない速度を感じさせてくれたりします、車中に篭る音を残して。タ、タ、
タ、ン、……。小走りに駈けてきたハミルは、コンビニ袋を提げた手で、ミニ・ク
ーパーの窓をこつきました。
「買ってきたよ」

このリズム!!!
一つ一つの文の長さ、「て」で終わったあとに、タ、タ、タ、ンってなんって擬音が続くこと。そのあと走ってきてこついて「買ってきたよ」というまでが、なんってリズミカルに映画のように鮮やかに映像が浮かぶことでしょう、しかも驚くことに、わたしはここで区切ってはやっぱりいけないのでした。「買ってきたよ」のリズムはまだ次へつながっていっているのです。なんという息の長い音楽!
買ってきたよ」

ハミルはガラス越しにもたれかかっているムスカに呼びかけると、返事を待たず運転席のあるほうへ廻り込んでいきます。ガッチャ。

ここで区切ってはならないことを、よむひともわたしももう感づいているのに、ここで合いの手を入れたくなるのがフレーズ好きの悪癖というか。だって、「ガッチャ。」だよ。ちょっと。話がずれるけれど、オクリさんといえばこの種のカタカナの響きの熾烈さで、例えばおそらく伝説となっているのが、
http://www.rondz.com/poem/poet/20/pslg19187.html#19188
にある

 包丁の使い方がなってない、
 二鷹三茄子、想い出に変わる、エトランゼ、

であり、それよりもなによりもその下に現れる、

 僕の仲人。ガローン。

なのであって。ガローン。て。しばらくチャットでなにかあるたびにガローン。と言っていたと言っていた人がいたけど、それだけの伝染力がある。たしかにある。けれど、ガローン。は、その前に、僕の仲人。という短い言い切り(そしてその意味のわからなさ(軽率で申し訳ないです)の準備があるからこその、強烈さで。意味がわからない、けれども、音がすごい。あのころ(2001年前後)の恍惚には、人外の人がいた(こういう表現はいけないんだけれど)、と会議室で枕元さんが語ってくれたことを、ぼくはなんとなく忘れられないでいる。そういう枕元さんも見事人外だよ、と思ったことは伝えられないでしまった。レントさんにせよ、オクリさんにせよ、あのころにマグマだかカオスだかノイズだかをものすごいエントロピーで吐き出していた、十代の眩しさをわたしはずっと、それがもうわたしには手に入らないのだという、理解すらきちんとできないのだという、届かなさばかり感じて。本当の話をすると、オクリさんのあの頃の詩をぼくはいまだによく分からない。だけれども、それが外延されたその他もろもろ諸空気を背負って大きな何かだという予感は感じる。でもそれは予であって実ではない。だからずっと感じることから逃げていた。閑話休題。
ガッチャ。)

市道といいましたが民家に横附けされていたので、ドアは擦れないようにそっと開かれまし
た。飛び出した音はすこし胸に響くものでしたが、それは耳が敏感になっているせ
いなのだとハミルには分かっていました。
「聞いてくれよ、今行ったコンビニさ、レジの前に和菓子の棚、ないんだぜ」狭い
車内には、黒黒といかにも古めかしい大柄な器材が積み込まれていました。ハミル
は腰を窄めて席に着きます。さっそく買ってきたみたらし団子(3本入り)とアメ
リカン・コーラ2缶、TVガイドを膝の上に広げて、「まいっちゃったよ、
「え、なに?」ムスカは気のない返事をします。これは、この時刻のムスカの口
癖。やむなくハミルは括弧を、綴じました。

どこかで区切って話をしたいしたいと思いながら、やっぱりここまで区切れない。この絶え間ないつながりはいったいどこから来るんだろう。「市道といいましたが」を読みながら、果たしてこのいいましたがは本当にリアルタイムにいいましたがなのか、企画され計画されたいいましたがなのかを考え、わたしはどうしても前者を思うのです。オクリさんは書きながら考えていたのではないだろうか?わたしはそう信じたいのです。なぜか。なぜならわたしは読みながら、書き手(むしろ話し手)と同じ時間経過を味わっていると強く感じるから。たぶんみなさんもそうでしょう?計画されないままに、主語は文のなかでころころと変わっていく、わたしは連想のままに昔古文を習っていたとき、「ば、」のあとで主語がどんどん変わっていくのが面白かったのを思い出すのですが、あの流れるような主語の変わりこそわたしたちを同じく流すのだけれど、大切なのはそれが消すことのできない毛筆で、(そう毛筆で、)流れるように書かれたことではなかっただろうかと思うのです。そう思うわたしは、わたしの筆の勢いのまま、この詩は、現代の毛筆たるPCの上でほとんど没入するように打ち込まれて言ったものではないか、などと書きます。それがオン書きだったかどうかの事実はともかく、オン書き的な要素、つまり、創作の時間のリアルタイム性というか、よむひとがその時に共時を感じるようなことが、かつてはあったような気が、しているのです。
定まらない主語。定まらない語尾。これは語り手自体が揺れながらなのではないでしょうか。共にあるわたしは読みながら揺れずにはいられません。「市道といいましたが民家に横附けされていたので、ドアは擦れないようにそっと開かれました。」ふとすればなんでもないこの一文にも、「市道といいましたが民家に横附けされていたので、」というのは、なんだかヘンテコで、どのあたりがいいましたがなのか、そしてそのあとには「ドアは」と当然のようなドアはが続き、頭の悪いわたしは、ああ「先程は車は市道に止まっているといったけれど実は車は民家に横附けされていたので、ドアを開くときは擦れないように」ということなんだな、と思うわけですが、こうやって常識的に書かれた文になんどもわたしが現れさせる「車は」という主語だとか。それが出ないまま気がつけば「ドアは」となっている詩だとか。わたしは「ドアを」と書いたところを、詩人は「ドアは」と書いているところとか。それは、狙ってされていることでは多分無く、詩人の中に流れずにはいられない音楽だったと思うのです。実際、ガッチャ。にしろ、エトランゼ、にしろ、ガローン。にしろ、オクリさんは言葉の音楽の流れに耳を澄ませる人だったんじゃないかと思っているのです。実際、この詩で一番美しいというわけではたぶんないこの一節を偶然取り上げただけなのに、「市道といいましたが民家に横附けされていたので、ドアは擦れないようにそっと開かれました。」という一節はなんてこれ以外ありえない流れ方をするんだろう。そっとですよ。そのあとに、

「聞いてくれよ、今行ったコンビニさ、レジの前に和菓子の棚、ないんだぜ」狭い車内には、黒黒といかにも古めかしい大柄な器材が積み込まれていました。

というないんだぜ」狭い車内には繋がりはどうでしょう。息もつかせぬというべきではありませんか。しかも、言ってること、そんなに重要なのかな、聞いてくれよって、しかも、息切れ切れ。

ハミルは腰を窄めて席に着きます。さっそく買ってきたみたらし団子(3本入り)とアメリカン・コーラ2缶、

この(3本入り)のリズム感とか、ちょっと笑ってしまいそう。このあとにくるトリッキーな

TVガイドを膝の上に広げて、「まいっちゃったよ、
「え、なに?」ムスカは気のない返事をします。これは、この時刻のムスカの口
癖。やむなくハミルは括弧を、綴じました。

のやっぱりリズム感は素敵で、「まいっちゃったよ、
のあとの改行にのこされた空間にリズムはやや弛むのに、「口癖。」っていう体言止めがきゅっと締めて、ハミルが括弧を綴じるのはやむないことですよね。

 車内に封じられているこの心臓に突き刺さるような鳴動は、石原洋『パシヴィ
テ』。けしてムスカの愛すへき音楽というわけではありません。盗聴音のカモフラ
ージュに間に合ったという、それだけの附き合いです。

ここを読むたびに、やはりはっと、作者とわたしは同時間にいるのではないかと思ってしまうのです。「けしてムスカの愛すへき音楽というわけではありません。盗聴音のカモフラージュに間に合ったという、それだけの附き合いです。」それだけの附き合いです、という不思議な言葉であったり、ここでしか見たことのないパシヴィテというCDアルバムの不思議な響き、この詩のことをぼくはパシヴィテと覚えているのです。そしてなによりも「愛すへき」というここだけしかない濁点落としの表記。詩人のなかで音がそう打たせたのか、かな打ちをされていたのか、わたしは2000年ごろといえば連想的に愛すべき椎名林檎さんのギャンブル(http://www.youtube.com/watch?v=LkIVqxXUNWI)のなかの、「愛すへき人は何処に居ましょう」を思うのですが、それは詩人のその瞬間と繋がっていたかどうかは分からないのですが、こうやって転載し、詩を通じて自分の生き直しを二次制作としてするものとして、あのころの空気を忘れないわけには、わたしてきにはできないわけですね

「火をくれよ、」ムスカが謂いました。よく磨かれたミニの窓はいつも真透明で、
道路側に坐るムスカが器材を弄るときには、ハミルは手で覆ったライターを翳す係
です。細心の注意を払うムスカに、ハミルはわくわくした試しがありません。ただ
ムスカのチンピラぶりったら、いつぞやに自販機の前に車を停めたときなど酷く、
冷却器のブーーーン、に「車を出せ!」と怒鳴れば、目玉を剥ききって気絶するこ
とがありましたし、眼科ひとえにはその後も2回通っています。不憫であるとは同
情を強いることです。

名言とでも言うべきなフレーズがたくさん出てきてわたしはわくわくするのですが、それにしても「係です」なんていう動詞が最後に待っているとは思わないで「ときには、」周辺を読んでいるわけですよね。そのわからなさはほんとうに、チンピラぶりったら、あたりで知らんがなと軽率なわたしは嬉しくボタンを押すように言う。すると、もはや気絶しているのが誰でなぜか分からないし、作者も分からなくなって眼科ひとえを出すんじゃないかと思います。その落とし前に名言とでもいうべきなフレーズ「不憫であるとは同情を強いることです」が来るのですが、「響きは立派に名言だけどそこにどういう深い意味が宿っているのかわからないな」とフレージストは考えないで進みます。

なにか調節をしたのか、女の声は鮮明になっていきました。鼓膜をくすぐるよう
な、パン、パン、という音に口端で泡がはじけるような錯覚を感じたハミルはシャ
ツの袖で口許をごしごしと拭いました。よくあるごとですが、ハミルにはなかなか
馴染めません。色んな音に畳み掛けられているうちに背中が痒くなったり、もぞも
ぞしてみたり、くすりと笑ってみたりもしました。
「今日、来てよかったろう」ハミルの様子を見てムスカは満足そうに謂います。
「うん」ハミルは返答に困りました。ハミルは盗聴という行為に特別、関心を持て
ないでいるのです。頼まれるままに簡単なことをこなしているだけです。そりゃ、
こんな音を聴かされたら誰でもむずむずするってもんさ、そう思うばかりなので
す。
「え、なに?」
 目を反らしたハミルは、シャッターを大写しにした横窓を、指でなぞりました。
「テ・ナ・ン・ト・募・集・中」ああ、そうか、この構え。ここは昔、店を開いて
たんだな。誰も住んでいないならシャッターは下ろさないほうがいいのに。何屋だ
ったか、その生活した足跡も、一目で分かるのだから。本心のところ、ハミルには
どうでもいいことでした。
 向き変えて前面、フロントガラスの彼方には星ひとつありません。その手前に輪
転しているボール塔をぼんやりと眺めることにしました。くる、くる、くる、まっ
たく美しすぎる光球です。あそこには大勢の、こっちに帰ってこれないひとたちが
住んでいるんだ。ハミルはなにかを思い出すように謂い零しました。帰ってこれな
い。ハミルはボール塔の灯の下を想像し始めました。

人の性交の盗聴シーンをなんというこちらからの主体性を持たせてしまう書き振りでしょう。「鼓膜をくすぐるような、パン、パン、という音に口端で泡がはじけるような錯覚を感じた」すごいですよね、これ。それで、答えにこまるハミルはなにか口ごもるのだけれど、ムスカは二回目の「え、なに?」を言います。この入り方。この詩でのこのセリフの、しかもこの、この?、これしかないリズムでの介入ですよね。そして突然ボール塔(なんだこれ)が現れます。「輪
転しているボール塔をぼんやりと眺めることにしました。くる、くる、くる、まったく美しすぎる光球です。」言われても。(軽率なわたしはボタンを押して喜びます。)そのくる、くる、くるは必要なん。(喜びます。)「くる、くる、くる、まったく美しすぎる光球です。」そのつながりは何。(なんだこれ)この、くる、くる、くるを言っているのは、やっぱりナレーションのひとの声だと思う。語り手、ナレーター、は、いったいどこにいるのか、それがこの詩を、ただの狭い車内の殺意なき殺人事件の顛末に終わらせない、宇宙へのつながりを感じさせるメタ的なものじゃないかと軽々しくメタなどと書いてしまいました。ハミルからも、ムスカからも中立な彼女(おばさんぐらいの年のナレーターのようにわたしは勝手に思っていますが、やはり書き手のとおり少年なのかもしれず、それでも、おばさんのように落ち着いた少年ではあって、ハミルのように殺したりムスカのように殺されたり、死すへき存在からは離れた存在であるように思われます)が落ち着いて書くからこそこの詩のクライマックスは恐ろしい物になるように思われます。2時半です。眠いです。明日仕事です。

そこはひとつの町のようでした。てらてらと金銀の光を浴びた、酔っ払いの呟き
やタクシー運転手の喫煙でごった返していることでしょう。「たにん」のことを
「ひとさま」と呼び、近づくまいとしているようです。そうした中にハミルのおか
あは駅の入り口をハミルの見知らぬ闘牛士と歩いています。

この切返し。突然街が来ます。ボール塔を見ていたのに。世界は狭い車内から遠く飛んで、「たにん」のことを「ひとさま」と呼び、近づくまいとしているよう、という、「よう」って比喩にされても喩えのほうにむしろ親しみがないさが素敵じゃないでしょうか。ここは唐突で素敵です。そしてとつぜんおかあがいて、なぜか闘牛士ですね。しかもここはどう考えてもスペインではないことに、駅の入り口です。スペインの駅かもしれないじゃないか、というあなたは、

血が染みても洗わなくて済むほどの真っ赤な布にハミルのおかあはくるみこまれ
ています。周囲を見渡したところ、ファッションというわけではなさそうですか
ら、やっぱり彼は闘牛士のようです。よくよく見ると腰にサーベルも差していま
す。
 ハミルのおかあの頬っぺえはこれまた赤く、浮かれた顔をして上向きに顎を尖ら
せていますが、化粧もけっこう汗に流れているようです。ヒール附きの靴なんて普
段履かないからちょこんちょこんとつまずくのですが、誰も気に留めてくれないの
でハミルは見ていて恥ずかしくなりました。

だって頬っぺえってわざわざ言うし。ちょこんちょこんって可愛いですよね。「よくよくみると腰にサーベルも」ってすごくいい。

派手といえばハミルが物心のついたときから派手でしたが、普段ならあっぷりけ
のエプロンに安全ピンが山ほど留めてある、そういう妙ちきりんな派手なのです。
ハミルはそうしたおかあを恥じたことは一度もありませんでした。プラダのバッグ
なんて持っちゃって……。外套から見え隠れする鞄はハミルには信じられないアイ
テムでした。

あっぷりけってわざわざひらがなだし、持っちゃって……だし、信じられないアイテム、とかなぜだか客観的な文体だし。そうするうちに笑いが来ます。

ハミルがハミルの知らないおかあに仰天しているうちに、二人はきっぷ売り場に
やって来ました。そこでとうとうハミルのおかあは寄り添っていた肩を闘牛士から
ふっと離しました。間(あわい)に小動物が消え入りそうなくらいにふっと。一度
ぎゅっ、と手を繋いで、やがて二人は小さく手を振り合いました。外套から出たハ
ミルのおかあはひどく刺激的な服を着ていました。90年代初頭のボディコンで
す。そのハミルのおかあの目尻が光ったような気がしました。ハミルの心は仰天し
っ放しです。

やばいやばい。「とうとう」ですよ、何が起こるのかって身構えたら「間(あわい)」ですよ。小動物のたとえもおかしいけれど、わざわざここに()を入れてくるこの、どうリズムを取っていいのかその並行に何かが動いているおかしさ、同時に「これはあわいって読むんですよ」って言っている・言われている並行さです。そこを笑っているうちに間髪入れずすごい刺しが来ますよね。ひどく刺激的な服を着ていました。といったあとに「90年代初頭のボディコンです。」て。90年代初頭と来たよ。ボディコンです。って言い切られても。ひるんだわたしにたたみかけるように「その」ですよ。すごい倒しです。そのハミルのおかあの目尻が光るってどういう意味だと。(後記:泣いているのではないか、という指摘をHさんからもらいました。あ、そうかも。)われわれも仰天しっ放しだし、もちろんハミルも仰天しっ放しです。

ハミルのおかあが間の抜けたように佇んでいるので、闘牛士を追ってみました。
「ハッ、ハアァ、」闘牛士は余韻に浸れるほど呑気にはいかないのでした。すぐさ
ま駅から大通りに飛び出すと外套をはためかせ、暴れている牛どもを一匹ずつ倒さ
ねばならないのです。闘牛士がサーベルを抜きます。先刻はこんなやつら居なかっ
たじゃないか、ハミルは叫びます「負けるな、まけるな」。ハミルの声は恐らく届
かなかったでしょう。ですが闘牛士は目にも止まらぬ速さでこてんぱんに牛どもを
やっつけました。ハミルは拳を突き上げて喜びました。「エイ・ヤー!!」

ここですよ!まさに!オクリさんの天才的な表記=音楽が炸裂するのは。ハミルのおかあにちょっとディスったあとハミルの幽体離脱氏(とナレーターも)は闘牛士を追うのだけれど、そこの「ハッ、ハアァ、」やばいですよ、この表記は。なんか聞こえてきます。その最後の、とか。そしてそこに驚いているわたしをさしおいて「闘牛士は余韻に浸れるほど呑気にはいかないのでした。」と引き摺り回すわけです。この地の文の引き摺り回しっぷり、読むものをどこまでも引っ張ってぐるぐる回して、というのは、ほとんどジャクリーヌ・デュ・プレのようです。「すぐさま」(て)闘牛士は大通り(たぶん日本)に飛び出して牛を倒す準備にかかるのですが、そこで突然前触れ無く入るハミルの声の地の文です。先刻は(て)こんなやつら居なかったじゃないか、ハミルは の、か、ハのつながりの、凄さです。引き摺り回しです。回されてハミルは何を叫ぶか「負けるな、まけるな」です。二回目はひらがな。この表記のすごさです。そうだよね、二回目はひらがなだよね、としか言えないじゃないか。そのリアルタイム性です。書き手=ナレーターへの同時的共感です。だから推敲の風景を事実としてはともかく読み手は見てないし、これはその場で書かれたものだと「愛すへき」をみながらわたしは思うわけですが。それなのにハミルの声は恐らく届かなかったでしょう(だれが推測)で、ですがって逆接ですてきな「こてんぱん」来たよって思ったら、この詩のクライマックスのセリフ「エイ・ヤー!!」が炸裂するのです。この中黒!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!誰にでも書けるものではありません。われわれはここを読むとき、エイとヤーの間に、それぞれのハミルの声で中黒的一瞬をおかずには居られないでしょう。その真剣さ/間抜けさといったら。ここは、本当に、耳の良さだけではなく、それをどのように表記するかを含めた、もう総合的なインスピレーションが閃く、あるいは、長考ののち現れたものでありましょうか。音楽だけではだめ、それをどう読む者に再生させるか、まで含めたなにかが、ここにあるわけです。

駅構内に戻ると、ハミルのおかあはコインロッカーの前に居ました。すごすごと
プラダのバッグから皺々になった布きれを取り出して、そこに財布やらハンカチや
らを移し替えていました。そしてその脹らんだ布きれを腰に巻き附けました。ウエ
スト・ポーチでした。ハミルはほっとして、プラダのバッグがロッカーに仕舞われ
ていくのを見守りました。
 にしてもよくつまずくハミルのおかあでした。三歩進んで二歩下がるような不恰
好だなぁ、それでいて二歩下がらないところが腹立たしいよ、とハミルはぼやきま
した。階段ではパンツ丸出しです。階下では年増のミニ・スカートから覗くパンツ
をやく・みつるが珍しがっていました。

スペインの駅かもしれない、というあなたはこのやく・みつるをどう考えるというのか。ただ、このやく・みつるのいかにもやく・みつる的出現を、この超越的な作品のなかでぼくはどう捉えればいいのか、ずっと分からないでいるのも事実なのです。

やっとごとでハミルのおかあは駅ホームに上り詰めました。電光掲示を見る限り
では行き先はどうやらハミルの家の方角ではないみたいです。ちょこんちょこん。
どこに行くんだろう。ハミルは謂います。どこに行くってのさ。ハミルのおかあは
ホーム端の白線で立ち止まろうとしました。案の定、こけたのです。どこ!ハミル
のおかあの図体が頭から滑降します。二、三度線路に跳ねて、ドシャリ、ハミルの
おかあはしゃくれた顎を擦り剥きました。
「電車が通過いたします」

(電車が通過いたします)

ちょこんちょこん、の地の文の可愛さ、そのあとのどこに行くんだろう、は「を用意せずわれわれに準備をさせない(振り回し)、そして案の定(知らないよ、でもちょっと知ってたかも)こけるわけですが、この音。どこ!って。すごいですね。このどこ!ひらがなです。そしてホームに落ちる、落ちて大変なのに地の文はしゃくれた顎の擦り剥きだなんて、わりとディテールというよりマイナーなことにこだわります。そして二回の電車。「」()の使用、その音質の差。


「おい、ハミル、おいったら」ムスカの声が聞こえたような気がしました。
「あん?」ハミルはぼんやりとボール塔を眺めています。隣の席を見遣ると、相変
わらずムスカはじいっとスピーカーに耳を傾けたままです。ハミルはボール塔のほ
うに向き直して、それから口を開きました。
「ねえ、あのボール塔が廻りつづけるのって中のひとを誰も出口に通さないためっ
て学校で習ったんだけどホントかな」
「え、なに?」
 パシヴィテ。

「あん?」の響きのリアルさ。聞こえます。それで、ボール塔の説明が初めてなされる(おそらくハミルによって?)そしてムスカは3度目の口癖「え、なに?」そのあとに間髪入れず入るもはや音としてのパシヴィテ。
クライマックスです。

ハミルはしどけなくいつの間にやらみたらし団子を三本とも平らげていました。
パン、パン、と車の屋根を撃つ音がしてからまもなく、ざあざあと雨が降り出して
いました。ボール塔はハミルの目から一気に霞んでいきました。
「そうだハミル、コーラ開けてくれ」ハミルは大切な瞬間を掬われたような心地に
なりましたが、笑いながら、
「また爪噛んじゃったのかよ」缶のタブを開いてムスカに手渡します。
「え、なに?」

4度目の「え、なに?」

 二人の喉をアメリカン・コーラの流れる音が、しました。
「やっぱアメリカンは最高だぜ、なあハミル」ムスカがハミルの肩を叩きました。
「イエス。でも糖分が多すぎるのが玉に瑕だな」ハミルは缶を振って答えます。
「え、なに?」
 パシヴィテ。

イエス。とむだに英語、5度目の「え、なに?」そしてパシヴィテ。

「お母さん、まだまだ元気そうだ」ハミルは誰に話しかけるでもなく謂いました。
「ああ」同様にムスカも。
 ハミルがCDを止めました。雨は激しくなってきていました。
「しかしこれ飲んでるとアメリカに居るような気がしてくるんだもんなっ、これが
ホントのベイ・ブリッジってか?ウシシ」ムスカの横顔の陰翳にはハミルの悲しみ
が寄生しています。ハミルはそう思いました。
「さっき知ったばかりだ、闘牛士はね、こうやって牛を刺すんだ」ハミルはみたら
し団子の串を掴んでムスカの頚動脈を刺しました。
「え、なに?」刺されました、刺されました、刺されました、刺されました、刺さ
れました、刺されました。





初めて読んだ時心臓が止まるかと思いました。1回、それから6回刺す様子を、音ではなく、刺されましたという敬体(落ち着いた!)を繰り返して描くこの絵は、その殺意の無さを明らかに示しつつ、よって戦慄なのです。ムスカの「ウシシ」の前に言われている「てか?」ギャグをわれわれはわからないままに(誰か教えてよ)、勝手にハミルに悲しみを写され、殺されていくムスカ。一回刺されたあとの「え、なに?」のあまりの無防備な響き。殺意も、殺され感も、ないのです。

血ってさ、よく燃えるんだろうかね」ハミルはライターを点します。
「うまくいくじゃない」七つの穴から噴き出した血が照らされて虹のように見える
のでした。
 己から立ち上った虹をムスカはただただ見初めています。
 ハミルはこの虹をくぐった向こうの世界を想像し始めました。すると助手席側の
窓ガラスに映るハミルの人相。ハミルは首を振ります。
「ちがう、その果て!」力いっぱい込められた声でした。ハミルは向こうの世界を
飛びたいとして再び鳥になります。
 そこはひとつの町のようでした。てらてらと……
 ハミルはひとつひとつを辿っていきました、確かめました。だから、淋しくな
り、心細くなりました。ハミルの行き着ける場所がもうずっと、おんなしなのだと
知ってしまったのです。ハミルは窓を開けました。とてもやわらかな雨でした。

もはや血の虹が七つ噴き出ている車のなかで、自分の虹を見るムスカは「見初める」という動詞で描写され、ここにもまた殺され感はありません。そしてムスカへの心配も気配りもなくハミルは「ちがう、その果て!」と、オクリさんしかかけない凄まじい響きを現します。そしてきゅうにてらてらのあとでダイジェストとして、どこへもいけないことに気づき、「とてもやわらかな雨」を見るのです。この、不感症の地獄のなかで、あらわれるこの窓感と雨感のなんという美しさでしょうか。なんという対照なのでしょうか。

おかあの唄は二人の星を輝かせます、雲も越えて。
「今度、ヘッドフォンを買ってあげるよ」ハミルは謂いました。
「え、なに?」ムスカも窓を開けました。半身を芋虫のように乗り出したムスカは
深呼吸することそれきり、動かなくなりました。
 残響、
 あっという間の。
 ハミルは串でシーハーしました。
 シートを後ろに倒しました。
 眼前の世界はだんだんと水玉模様になりました。つまり、穴あきだらけの。
「今週も来週もおもしろそうな番組がひとつもないや」TVガイドをぱらぱらと捲
りながら、ハミルもいつか微睡へ落ち窪んでゆくのでした。

散文はどんどん詩文へ、息が絶えていくように。いまだムスカは「え、なに?」と言い、芋虫のようにやわらかい雨に包まれて死にます。そのあとの三行。

 残響、
 あっという間の。
 ハミルは串でシーハーしました。

これを最後の最後にもってくることに、フレージストは狂喜乱舞です。その、その改行、その倒置、そしてその脈絡ない、(人を刺したはずの、)シーハーです。ハミルは串でシーハーしました。です。覚えましょう。ハミルは串でシーハーしました。ハミルは串でシーハーしました。つまり、で広がる世界はもう新しい、殺しはなかったように。


わたしはこうして偶然生きている、詩人もきっとそうに違いないと思うのですが、ムスカとハミルの生死の間は、目隠しして飛び石の上を歩いてるようなもの(借りました)ではないでしょうか。殺しはなかったように、やわらかい雨の中で、永遠に眠るひとと、微睡に落ちる人のあいだの違いは偶然以外になんだったのでしょうか。








散文(批評随筆小説等) 【批評祭遅刻作品】殺し、やわらかい雨の中で(山茶花オクリ讃1) Copyright 渡邉建志 2011-03-09 03:17:41
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フレージストのための音楽