【批評祭参加作品】となりに、近くにいる人は簡単には理解しえない。 佐藤泰志『海炭市叙景』のこと
mizu K

小学館文庫の目次より引用*1に同じasahi.com KAGEROU読者は40代女性? 取り次ぎ大手調査
http://book.asahi.com/news/TKY201012290161.html
urlの有効は投稿時においてのみ確認。一定期間経過後、失効の可能性もあり
 ここでとりあげる佐藤泰志さとうやすし・著『海炭市叙景かいたんし じょけい』は長らく絶版であったが、2010年の秋に文庫化が実現している。ほぼ同時期に映画化もされており、内容に言及する前に、まずこれらの経緯をたどってみよう。文庫本所収の福間健二ふくまけんじ川本三郎かわもとさぶろうの解説およびウェブサイトの情報よりごく簡単にまとめてみる。(敬称略・以下同)

 佐藤泰志(1949 - 1990.10)の経歴は略。章立ておよび各エピソードのタイトルは以下の通り。(*1


第1章 物語のはじまった崖
1 まだ若い廃墟
2 青い空の下の海
3 この海岸に
4 裂けた爪
5 一滴のあこがれ
6 夜の中の夜
7 週末
8 裸足
9 ここにある半島

第2章 物語は何も語らず
1 まっとうな男
2 大事なこと
3 ネコを抱いた婆さん
4 夢みる力
5 昂った夜
6 黒い森
7 衛生的生活
8 この日曜日
9 しずかな若者


 所収の一連の作品のうち、加藤健次・編集の詩誌『防虫ダンス』に冒頭の「1-1 まだ若い廃墟」と「1-2 青い空の下の海」が1988年1月に発表され、ついで5月に「1-8 裸足」が掲載。のちに修正されたものが雑誌『すばる』の1988年11月号から90年4月号にかけて発表されている。その折りにはまだ、それぞれ18の物語には、上記のタイトルはついておらず、下のように3篇ごとにまとめられているようだ。(*2


「海炭市叙景」(第1章1・2・3)1988.11月号
「闇と渇き」(同4・5・6)1989. 3月号
「新しい試練」(同7・8・9)1989. 6月号
「春」(第2章1・2・3)1989. 9月号
「青い田舎」(同4・5・6)1990. 1月号
「楽園」(同7・8・9)1990. 4月号


 その後、単行本化に際し、詩人・福間健二の詩よるタイトルを採用。
 単行本は1991年に集英社から出ていたものの品切れのため長らく絶版状態であったが、2007年に文弘樹ぶんひろきが主催するクレイン(東京・武蔵野市)より『佐藤泰志作品集』が出版。
 これが作者の故郷である函館市で話題になり、市の映画館シネマアイリスの菅原和博すがわらかずひろ支配人らが2008年に作品集所収の「海炭市叙景」の映画化を、映画監督・熊切和嘉くまきりかずよしに依頼。市民から1200万円の寄付金も得て、2009年に映画制作実行委員会が設立。
 その途上で映画スタッフのひとりがTwitter上で「映画化されるので原作の文庫があれば(大意)」との書き込みを書評家の豊?由美とよざきゆみがリツイート、それが小学館の編集者・村井康司むらいこうじに話がまわり、佐藤泰志、制作実行委のメンバー、村井康司らがおなじ中学出身という偶然も重なって運命をズッキュン感じた、かどうかはともかく、2010年10月に小学館文庫より無事出版のはこびとなった。このあたりの話はとても興味深い。
 11月からの映画の公開と前後して静かにひろまり、著者の没後20年を経て着実に版を重ねている、といったところである。

 この文章の記述時点で私(mizu K)は映画「海炭市叙景」を視聴していないので、これから書く内容は文庫本のそれに即する(原作と映画とでは若干内容が異なるようです)。



 この『海炭市叙景』という作品の特徴は、読んだ人だれもをしあわせな気分で満たし、すごく前向きな気持ちを喚起させ、落ち込んでいたりするならば勇気をもらえ、可憐な主人公たちがいとおしくて彼らの恋人への愛が本当に切なくてせつなくて、もうページをめくるたびに涙が止まらなくなってページがぐしょぐしょになり、今後10年出ないであろう傑作!であり、元俳優で超売れっ子某ベストセラー作家も大絶賛!の、全く従来の小説の概念を打ち砕く斬新かつ鮮烈な文体!で、作者の作家生命をかけて全身全霊すべてをこめた渾身のスペクタクル超大作!で、超話題作につき書店の在庫はどこも底をつき増刷がまったく追いついていない状態が数ヶ月も!!

 というのはまったくありえず、すべて嘘である。

 読み出したらハラハラドキドキ!最後のページまでノンストップ!することもなく、自分探しの旅先での運命的な出会いと別れがあるわけでもなく、余命1ヶ月の恋人も花嫁も出てこない。P社から出たある作品のように、40代女性のあるいは「ベストセラーばかりを追う人々」には全く受容されそうにもない(*3)。あまりの疾走感あふれる文体にページをめくるのが、もどかしくもならない。むしろゆっくりじっくり読み進めたい文章。
 ただ、抑制の効いた、しずかな小説である。
 冷静な文体ではあるが、冷酷ではない文章。登場人物によりそうでもなく突きはなすでもなく、絶妙の立ち位置から作者は物語を紡いでいる、という印象をもった。

 作品の時代背景は1980年代後半の日本、ということでいいだろう。ちょうどバブル経済の絶頂期、あるいは作品の着想と構想期間に鑑みれば、それにいたる過渡期あたり、ともとらえられる。いずれにせよ経済はこれからも右肩上がりで成長を続け、わたしたちの生活はこれまでよりもっとよくなるという期待感に満ち、とくに大都市圏での、経済成長を十分に享受し得た人々の娯楽やライフスタイルなどがマスメディアを通じて流行を起こし、それが地方へと波及するという現象も起きていたと思う。
 この時期はだれもが、あるいは多少無理してでも、消費活動を盛んにし、畢竟金づかいが荒かった場合も多かっただろうが、この『海炭市叙景』ではそのような行動や言動をとる人物は、皆無ではないにしても、非常にまれである。作品成立の経緯を知らずとも、冒頭の地形・情景描写で容易に予想がつくが、函館市がモデルとなっている「海炭市」は、おそろしく疲弊した典型的な一地方都市として存在し、そこで生活する人々もバブルの恩恵をまったく受けていない。描かれる大半が、いわゆる社会的底辺層の人々である。

 そして時代的には、現在より20年前の話であるのに、たしかにいくつかの時代を象徴する舞台装置が出てはくるものの、現代の話として読み変えても驚くほど違和感は感じられなかった。いや、その後の90年代においてさえも一億総中流意識という「幻想」の名残にそれが依然としてカモフラージュされていたためか、あるいはそれからの新自由主義の展開、端的にいえば「いたみをともなう」一連の熱狂のあとに、社会の表面に、確実に、視認可能な形でようやく具体的に表出してきた「格差」というものを、このときすでに作者は、この海炭市という地方都市を例として提示し顕在化させている。
 NHKが発端となった「無縁社会」あるいは朝日新聞社がいうところの「孤族」を予測したかのような、いや、当時その語はなくとも、雇用や教育、医療・福祉や、娯楽においてさえも見放された位置にいる人々は実際に存在していたのだし、社会的に徹底的に孤立した層はむかしも今も、増減しながら確実に存在している。そして現在のほうがむしろ注目されていると感じられる。その意味でこの小説は「あたらしい」と言えるだろう。

 ある挿話での3歳の娘を連れて海炭市に越してきた夫婦。引っ越し先で近所の地元の人と顔を合わせたならば、すこしはなにか会話が生まれそうなものであるが、不審の目で見られるだけで、そのようなことは起こらない。ただ黙って、配送が遅れている荷物のことを気にしながら寒風の中立ちつくす。あまりの寒さに一杯引っかけるために飲み屋に入ってようやく挨拶程度の会話が成立する。
 夫婦であっても、恋人同士であっても、どこか感情を押しかくす必要があり、思惑があり、フラストレーションを内包している場合もある。しかしそれは、どこにもぶつけることができず、だれかと共有したり愚痴をいいあうこともせず、会話にも齟齬がうまれるから、どこか諦念で打ち消そうとするか、または自身の内面に澱のように沈んでいく。
 そしてもっとも近くにいる人は、その、近くにいるがゆえにその感情や意識を伝達することが逆説的にできない、できづらい、あるいはそのためにすぐとなりにいる近しい人を理解することの、思いやることの困難さを感じ、結果としておこる葛藤や衝突。だが、よく考えてみれば、わたしたちは多かれ少なかれそういうものを抱えて生きてるよね、ということも、この作品を読んでいるうちにあらためて気づかされるのである。




 別の話(すこしエピソードの核心部分に言及、つまりネタバレします)。
 さきに、「ベストセラーを追う人々」についてすこし、揶揄しつつ、言及したが、この作品でいえば「2-7 衛生的生活」においておもに中心的に語られる人物がそれにあたる。広告に踊らされ、大衆迎合的な嗜好をもち、もちろんベストセラー小説を定期的に購入し、当時のトレンディ・ドラマよろしくそれを週末の夜に読むことを楽しみとする。それが「教養」につながると信じている。典型的な公務員であり、豪奢ではないが生活もじゅうぶん安定していて不自由なく、自分は「文化」というもののよき理解者である、という「思いこみ」。これだけでもこの人物を滑稽に、嘲笑的に描くことが容易であることは想像に難くない。しかし作者はそうは描かない。話の中心人物であるがゆえに読者はある程度の多少はあってもこの人物に感情移入するし、比較的好意的な視点から読み進めることになるのだが、実際、文章のニュアンスに彼をあざ笑う傾向は認められない。作中の彼は、「文化」というものに対する認識をどこかで履き違え、あまりに表層的な「モノ」だけを見てしまうという、ありがちな傾向にあるのであるが、それを否定するのではなく、それはそういうものとして、そのままその人物を描いている。現実に会えば、(個人的には)結構いやなタイプの人物であると私は思うのだが、すくなくとも周囲に同僚のいる職場の席で洗面所にも行かず大口を開けて歯の治療のための薬を脱脂綿につけてピンセットで慎重に丁寧に塗るような人はずいぶんとにがてなのだけれども、そのようなネガティブな感情を読みながら起こさせない、文章の、よさがある。
 そして、このまま「衛生的」生活の一幕が語られて終わるかと思いきや、終盤のあざやかな視点の変換によって、それまでつむがれてきた話に別の光をあてる。これは「まっとうな男」でも現出する手法であるが、秀逸なカメラワークによって180度視点を転換されたようなこころよいめまいにも似た感覚を起こさせるこの手腕はとてもいい。



 また別の話。
 もともとこの作品はさらに2章、もうあと18の物語の追加をもって1年をゆっくりとへめぐるように構想されていたが、それは佐藤の自死によって永久に断絶した。
 第1章においては冒頭の兄妹のエピソードが別のところでニュースとなったり、引っ越しの手続きで電話をかけることが、他の挿話にもつながるなど、それぞれの物語が独立しつつ、しかし細いながらも一定のつながりを、かろうじて保っている。が、第2章になると、それも消失し、各個の物語がひとつひとつ孤立してしまっているような印象をうける。それが作者の明確な意図であったかどうかは今となっては定かではないし、逆にそれぞれで独立して完結しているために完成度が高い、ととる見方も成立するだろう。
 だが私には、作者はこの2章で完結、とはいえないまでも、これである程度の区切りがついたと認識していたのではないかと思えてならない。
 その根拠は第2章の9話、つまり最後の18番目の物語である「2-9 しずかな若者」のあまりの他の話との相違である。ここに登場する青年は、大学の夏期休暇を海炭市で過ごすために「首都」から「赤のシビック」を運転して、売りには出しているものの今夏までは問題なく使用できる「別荘」に滞在する。朝食はシリアルやフルーツ、チーズにフランスパン、コーヒー、調理道具はステンレスの包丁(鋼ではない)、パヴェーゼを読み、あっさり寝てくれる女の子が近所の別の別荘におり、ジム・ジャームッシュの映画を見に行くのを楽しみにし、私は寡聞にして知らなかったが、オスカー・ディナードというジャズピアニストのレコードをかけてくれるジャズ喫茶に入り浸る、とこれでもかとばかりの記号の奔流、つまりあきらかに都会なれして比較的富裕層に属している、そんな青年である。
 そして文体は相対的にとてもかるい。今までの重苦しさをこれからの夏の光が明るくしてくれるとまではいわないが、長い冬、おそい春に下を向いていた人々がゆっくりと顔を上げようとする、そのかすかな期待、しずかな待望が象徴的にそこにこめられているように思う。その萌芽は「1-5 一滴のあこがれ」でも中学生の少年の2次性徴にからめて記述してあるが、ここまで明確に表現されてはいなかったし、このような帰結をみせる話はまれであった。
 そしてこの文体の解放感、あるいは脱力感といってもいいが、これがどうしても、長い物語を経てきたあとの、いわゆる「エピローグ」の雰囲気を漂わせているような、もうここで書き終えた、という印象をもたせる。
 もちろんこれは私の個人的な感覚であるし、これを読んでみた人には全く違う印象をもつ人もいるかもしれない。
 しかしさらに新しい領域に跳躍して書きすすめられるにせよ、ここで断筆されるにせよ、ここまでの18の物語で一定の決着をみていたのではないだろうか。それが作者の死去の原因との関連を精査する力は私にはないのだけれど。





■参考文献・資料(*4

・佐藤泰志『海炭市叙景』小学館文庫 2010, 第5刷
・映画「海炭市叙景」公式サイト http://www.kaitanshi.com/
・asahi.com 佐藤泰志の遺作『海炭市叙景』文庫化 http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201010280271.html
・asahi.com 函館を舞台に手作りの情味 熊切和嘉監督「海炭市叙景」 http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201012100415.html
・asahi.com 海炭市叙景 [著]佐藤泰志 http://book.asahi.com/bestseller/TKY201101190209.html
・asahi.com 注目集める「ひとり出版社」 埋もれた「名著」復活に一役 http://book.asahi.com/clip/TKY201102260159.html
・YOMIURI ONLINE 『海炭市叙景』 佐藤泰志著 http://www.yomiuri.co.jp/book/column/pocket/20101013-OYT8T00392.htm
・YOMIURI ONLINE 「海炭市叙景」の熊切和嘉監督 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20101203-OYT8T00622.htm
・毎日jp ブックウオッチング:本をつくる 函館コネクション http://mainichi.jp/enta/book/bookwatching/archive/news/2011/02/20110202ddm015070120000c.html
 


*1 小学館文庫の目次より引用
*2 *1に同じ
*3 asahi.com KAGEROU読者は40代女性? 取り次ぎ大手調査
http://book.asahi.com/news/TKY201012290161.html
*4 urlの有効は投稿時においてのみ確認。一定期間経過後、失効の可能性もあり



散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】となりに、近くにいる人は簡単には理解しえない。 佐藤泰志『海炭市叙景』のこと Copyright mizu K 2011-03-06 19:41:06
notebook Home 戻る
この文書は以下の文書グループに登録されています。
第5回批評祭参加作品