歩道橋についての夕方と朝方
ブライアン

 歩道橋の上に立つと、思い出すことが二つある。そのうちの一つは小学生の頃の思い出で、残りの一つは上京してからのことだ。生まれた場所には、歩道橋が一つしかなかった。その歩道橋には唯一の信号機が付いていた。国道113号線を横断するためにつけられた歩道橋と信号。信号機は、青信号と赤信号の時間が、極端なほど違っていた。国道113号線を走っている車が赤信号に捕まることはほとんどなかった。車はスピードを緩めることなく通過していった。
 その歩道橋はペンキが剥がれ落ちていて、寂れた場所を象徴しているようだった。近くには工業地帯があり、バブル期は多くの企業を誘致しようと努力を惜しまなかった。だが今は、そのほとんどが工場を撤退させていった。残った土地の上には人気のない建物だけがあった。
 小学生だった頃、歩道橋の上で飛び跳ねて遊んだ。歩道橋は大きく揺れた。また、ダンプカーやトラックのような大型車が交差点を走り抜けていくと、風で歩道橋は揺れた。同級生の女の子の中には怯えている子もいた。彼女たちは歩道橋で飛び跳ねる男子たちに罵声をを浴びせた。彼女たちは走る。歩道橋はさらに揺れた。渡り終わる。彼女たちは何かを叫んでいた。一体なんと言っていたのだろう。もう記憶は何もない。歩道橋がひどく揺れた。国道113号線を見下ろす。ダンプカーが走り抜けていく。
 山が四方を囲んでいた。湿気が遠方の山の形をおぼろげにしていた。不透明な山のほうに、ダンプカーは走っていく。歩道橋から見える景色はいつも変わりなかった。まっすぐに伸びた国道、広々とした田畑。点在する住居の群れ。
 歩道橋から見えるところに、好きな女の子の家があった。同級生の両親は小学校からの幼馴染だったらしい。世の中とはそういうものだ。大人になったらきっと、その子と結婚するだろう、と思っていた。それは20歳くらいで。彼女の家の前を通るたびに、得も知れない妄想を抱いていた。中学生になって、一度だけその子の家に遊びに行ったことがある。その日、何を思っていたのか、ほとんど覚えていない。その日のことを思い出すと、歩道橋の上から見た彼女の家のことを思い出す。時間帯も季節も分からない。どんな格好をしていたかも記憶にない。夕方、彼女の家を出ると辺りは暗かった。自転車にまたがり、自宅へ帰る。いや、きっと冬だった。その日、自転車にまたがった記憶はない。蛇行する農道を一人で歩いて帰った。寒い日だっただろうか。雪はとても積もっていた。真っ白になった田んぼのうえに何度も何度も身体を預けながら帰った。
 大人になったとき、彼女は違う男性と結婚した。僕は違う女性と結婚した。

 上京してからの記憶のほうも、もうほとんど消えてしまっている。その日は鼻血を出した。山手線で眠っている時だった。ふと気が付くと、鼻血が白いワイシャツに赤いシミをつけていた。驚いた。必死に鼻血を抑えようとした。だが、何ももっていなかった。ワイシャツを鼻に持っていき、無理やり鼻血を抑えようとした。目の前にいた男性は、ポケットティッシュをかばんから取り出し、差し出してくれた。
 巣鴨駅で降りる。ワイシャツの赤い血が目立ったので、鼻にティッシュをつめたままにした。警察にでも捕まったらめんどくさい。いち早く眠りたかった。ちょうど朝日が昇ろうとしている頃だった。国道17号線にかかった歩道橋の上に昇ると、夜明けを写真に収めたくなった。もらい物のトートバックから使い捨てカメラを取り出す。写真を構えたまま待っていた。
 当時、アルバイトを二つ掛け持ちし、一週間の睡眠時間が七時間ほどだった。死ぬまで働いてやろうと思っていた。住んでいた家は風呂なしのトイレ共同の木造住宅。エアコンはなかった。窓の外には蜂の巣があり、窓を開けることさえできなかった。ただただ、生きたかった。死ぬまで働かないと生きれなかった。生きるすべが見当たらなかったのだ。
 いつも立ったまま眠っていたし、掃除をしながら眠っていた。会話の途中で眠りに落ちたこともある。きっと、身体は限界だったのだろう。それでも生きたかった。お金が必要だった。
 歩道橋の上、秋の冷たい風。朝日はまだあがらない。いつまでも待っている。人が通り過ぎる。赤いシミを見て驚き、鼻のティッシュを見て苦笑いする。歩道橋にもたれかかりながら、相槌を打つように苦笑いする。朝日が見たい。朝日を見れたら、きっとこんなに苦しまなくてもいいはずなのだ。歩道橋から見える墓地。朝日はあがらない。墓地の周りを散歩する人と犬。まだ、朝日は昇らない。歩道橋が揺れる。大型車が通過した。思わず下を眺める。もう、辺りは明るかった。道の向こうには橙色光が見え始めていた。その光は上空に行くにしたがい薄まり、淡い色となっていた。だが、朝日は昇ってはいない。
 歩道橋を降りる。家にたどり着けないなら、近くの道端で眠ればいい。盗られる物はもう全部盗られた。もう、一生路地で眠りながら過ごしていけばよい。
 階段を降りた時だっただろうか、もう随分歩いた後だっただろうか。もう忘れてしまった。朝日は昇っていた。急いで歩道橋へ戻る。力強い光が世界に放たれる。バックにしまったカメラを取り出す。きれいな写真でなくてもよかった。レンズを朝日に向けて、写真を撮った。朝日が昇った。階段を降りる。とげ抜き地蔵へ向かう。人はいなかった。
  

 もう、多くのことを忘れてしまった。時間を経て、過去が忘却の中に押し込められようとしている。だけど、忘却から救い出そうと言葉にしたわけではない。言葉はいつも不完全だ。誰だっただろう。愛は愛より以上のものである、といった。言葉はいつも言葉以上のものを表そうとして失敗する。言葉は過去しか語れない。だから、今起きていることを言葉にしたら陳腐だ。愛してるとか。今にして思えばや、かつて、という前置詞がないとうまく語れない。いつも、時間が体験を忘却の中へ押し込めようとする。そして、多くのことを忘れてしまったとき、ふと、言葉だけが残る。そうか、その言葉を書き残そう、と思う。残したからといって、残るわけでもない。もっと大きな時間が、忘却の中へと多くの存在を押し込めようとする。その時、残るのは何だろう。言葉も忘れ去られ、残されたものは何だろう。
 国道113号線にかかった歩道橋も、国道17号線にかかった歩道橋も、いつか取り壊されるだろう。多くの人がカメラにその姿を写す。何十年後に一度、テレビのようなマスコミが特集を組む。何十年前の日本の風景、のような。忘却は延長する。言葉によって、映像によって。どこか遠くのの民族で、人は二つの死を持っているという。一つは生命の死。もう一つは記憶の死。二つの死が訪れた時、人にはようやく真の死が訪れるのだ、と。
 テクノロジーの発達によって、死は延長され続けていく。もはや死は訪れないのかもしれない。死は半永久的に留保させられる。
 そうか、生きたいのか。出来る限り。存在が忘却へと押し込められたとしても、なお。結局は、忘却の中から救い出そうとしていたに過ぎない。言葉は延命処置なのだ。


散文(批評随筆小説等) 歩道橋についての夕方と朝方 Copyright ブライアン 2011-03-02 00:03:25
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