高級弁当という収穫
光井 新

 目の前には、豪華な食事が食べきれない程並んでいた。けれども、それらを存分に味わう事など、私にはできなかった。今この場でどんなに腹を膨らませようと、明日になればまた腹が減る。そんな風に考えてしまっては、寿司や天婦羅や賽子ステーキの味も、明日の食事の心配に打ち消されてしまっていた。
 その不安を、表情や態度に出さぬよう私は心掛けた心算であった。が、M氏には、恐らく不自然な振る舞いに思えたのであろう。見兼ねて、「遠慮しないでくださいね」と優しい声を掛けてくれたのであった。
 赤面せずにはいられなかった。自分という小さな人間を物差しにして、勝手に他人を計っては、他人もまた、自分と同じ様に小さな人間なのであろうと思い込んでいた事に気が付いたのだ。
 とてつもなく大きなM氏の親切心を、真摯に受け止めたい。その思いで、「御土産が欲しいです」と私は顔を真っ赤にしたまま頼んだ。するとM氏は、直ぐにウェイターを呼び寄せて、御土産を準備しておくよう注文してくれた。
 しかし暫くすると、今度は明後日以降の食事の心配がちらつき始める。その事を直ぐ、正直に、私はM氏に打ち明けた。
 M氏は微笑みながら、「大丈夫ですよ。きっと上手く行きます。今夜は楽しく飲みましょう。さ、久保田です。美味しいですよ」と言って、私に酒を勧めた。私は、手元にあった残りのビールを慌てて片付けてから、「有り難う御座います」と言って、渡されたグラスの中身をぐぃと飲み干した。グラスが空になると、透かさずM氏は私のグラスにまた酒を注いだ。そして私はまたぐぃと飲み干す。それを、私が飲み始めた時には七分位入っていた瓶が、空になるまで繰り返した。
 それから私達は、仕事の話をした。この食事の席も、元々は、リラックスしながら仕事の打ち合わせの様な話をする為に、M氏が設けてくれた場であった。その仕事というのが、M氏の勤める某出版社の或る雑誌に、私がイラストを描くというものなのだが、私にはまるで自信が無かった。私は、美大でちゃんと勉強をした経験も無ければ、賞を貰って世間に通用する評価を受けた事も無かった。自分の仕事に自信が持てない私は、具体的にどの様なイラストを描けば良いのか訊ねて、言われるままに仕事をしようと企んでいた。しかしM氏は、「あなた自身の良いと思うイラストを自由に描いて来てください」としか言わなかった。かなり酔って思考能力も低下していた私は、兎に角M氏に嫌われたくない一心で、「そうですよねー」と言って、そしてグラスで口を塞いだ。
 その後の事は覚えていない。


散文(批評随筆小説等) 高級弁当という収穫 Copyright 光井 新 2011-02-09 13:12:59
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