妹の声
光井 新

「お兄ちゃん助けて」って声が、聴こえるんだよ、妹の声が。こんな事は初めてだ。俺がこの世界に生まれ堕ちてから、俺には妹なんていなかった。だから今、生まれて初めて耳にした妹の声だ。それが助けを求めているんだから、お兄ちゃん頑張るよ。
 俺に妹なんていない、なんて言える訳ないだろ絶対に。例えこの世界で血の繋がりが無くても、この声は正しく妹の声じゃないか。きっと、もっと深い繋がりなんだ。魂の絆とか、そういう物に違いない。聴こえるんだよ、俺にはお前の声がちゃんと。だからもう泣くなよ、泣くな。
 丘の上の垂れ桜、あれを咲かせる事さえできれば、お前は救われる。知っているんだよ、俺は、お前の事だったら何でも分かる。お前の声が、深く眠っていた記憶を呼び覚ましたんだ。大切なのは、脳の持つ記憶なんかじゃなくて、心その物に刻まれた記憶だ。今宵は満月、あの垂れ桜を咲かせる事さえできれば、門が開く筈だ。そうすれば、俺はお前を助け出しに行ける。門を開かなければならない! 梅もまだ蕾のこの時期に、俺は、垂れ桜を咲かさなければならない!
 血だ、血が必要だ。月光を通じて、番人の渇きが、俺の喉にも伝わってくる。あの垂れ桜に血を与えさえすれば――妹よ、お前の頬の様な色をした、綺麗な花を咲かせるだろう。お前を助けに向こう側へ行く為の通行料だとすれば、安いものじゃないか、俺の血をくれてやろう。
 心配いらない、この世界で生きる為の命よりも、大切な事があるのをお前は知っているだろう。俺も、その事をさっき思い出したんだ。白刃が、この肉体の父と母の哭き喚く姿を映し出してはいるが、俺にはもうお前の声しか聴こえていないんだよ。お前はもう何も心配するな、今宵は満月、きっと上手く行くさ。


散文(批評随筆小説等) 妹の声 Copyright 光井 新 2011-02-02 20:17:45
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