春とハムスターと恥
光井 新

 本当の事を言うとね、僕は、君と離れ離れになる事を悲しんでなんかいないんだよ。だから僕の事は心配しないで、安心して、君ももう泣かないで、そして、笑ってお別れしようよ。
 春になったら、僕はジャンガリアンハムスターを飼うんだ。ふわふわしていて、小さくて、温かくて、丸っこい、僕だけのハムちゃんを飼うんだ。嗚呼、今からもうワクワクするよ。君や、ママやパパや、地元の友達と、会えなくなるのは寂しいけれど、新しく出会う小さな相棒がこれからはいつも一緒に居てくれる。
 実はね、京都じゃなくて東京の大學を受験したのも、ハムちゃんの為なんだ。どうにかして独り暮らしをしたかったから、それで東京の大學にしたんだ。小さい頃からハムスターを飼うのが夢でね、「とっとこハム太郎」っていうアニメが昔あったでしょう、あれを視て以来、もうハムスターの事ばかり考えていたよ。暇さえあれば色々と妄想してたんだ、どんな柔らかさで、どんな大きさで、どんな体温で、どんな形か、とか。ママとパパに飼いたいって頼んだりもしたけど、うちではずっと猫か犬を飼っていて、それで、鼠は駄目だって言われてね。実家にいる限り、妄想する事しか許されなかった。
 だけど、もうすぐ妄想じゃなくなるんだ。夢が叶うんだよ。この二年間、趣味のアニメ鑑賞を控えて、必死に受験勉強してきた甲斐があったよ。君が遊びたいと言って不機嫌そうにしていた夏の昼下がりも、君が僕の事を信じられないと言って怒っていた秋の夕暮れも、君が逢いたいと言って泣きながら電話をしてきた冬の夜も、春になれば、二人の悲しかった恋愛の思い出全てが報われる。
 東大生の自分を不器用だなんて言うのは変かもしれないけれど、僕は本当に不器用な人間で、ママとパパに内緒で僕の部屋にゲージをこっそり置いたり、アルバイトをしてアパートを借りてそこで飼ったり、そういう別の方法は何もできなかった。ただ、独り暮らしを、納得させるというか、応援してもらえる、そんな国立大學を受験するという事位しか実行できなかったんだ。それた事一つできずに、ずっと勉強ばかりしていて、つまらない思いをさせたね、ごめんね。
 東京に行ったら、いっぱいメールするよ。楽しい写真を添付するつもりさ。どの写真も、きっとハムちゃんと一緒に写ってるだろうから、ひょっとしたら君は焼き餅妬いちゃうかもね。スカイツリーをバックにポーズを決める僕のジャケットのポケットから顔を出していたり 、もんじゃ焼きやらひよこ饅頭やらを頬張る僕のパーカーのフードで寛いでたり、そんな可愛いハムちゃんの写真がいっぱい撮れたらいいなぁ。
 本分の学業に関しては、具体的に何を細かく勉強して、将来どうしたいとか、まだなんにも考えていないけれど、「ハムちゃん、ハムちゃん、ねぇハムちゃん、いつも一緒だよ」って唄を口ずさんでポジティブに過ごせるように頑張るよ。君も頑張ってね。

 今思えば君と過ごした日々は恥ずかしい思いの連続だったよ。そんな恥ずかしかった事も、遠距離恋愛になる今は話せちゃう気がするから、話しちゃおうかな。
 一緒にお風呂に入っていた時、僕は本当は肛門から指を突っ込んで中を綺麗に洗いたくて仕方がなかったんだ。だけど君の目の前でそんな事をするのは恥ずかしいと思ってできなかった。そんな自分を恥ずかしいと思った。更に言えば、肛門から指を突っ込んですぐ届く様なところにうんこがこびりついてる、そんな状態で君に愛を囁くのも恥ずかしいと思った。
 僕は汚いんだ。便意とか特に感じていなくても、指を突っ込むと意外と、奴等がすぐそこまで来てたりするんだよ。一人でお風呂に入る時は、必ず洗うようにしている。
 君と一緒にいると僕は駄目になる。お互いの身体を荒いっこしてたんだから、君に、洗って欲しい、とちゃんと言えばよかった。でも恥ずかしくて言えなかった。僕が君の身体を洗っていた時も、実を言うと、あれは僕の中ではかなり雑に洗っていたんだ。僕は自分の身体を洗う時は、あの何倍もゴシゴシ擦らないと、汚いと思ってしまう人間なんだ。つまり、自分で洗っておいて、君の事を汚ない女だと思っていたんだ。恥ずかしいよ。君が僕の身体をあまり擦らないものだから、僕が君の身体を念入りに擦るのは恥ずかしいと思っていた。
 笑えるだろ。そして、当分逢いたくないと思うだろ。


散文(批評随筆小説等) 春とハムスターと恥 Copyright 光井 新 2011-02-01 11:34:52
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