大宰府にて
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 節分は、母親がお札を返しに行くと決めている日。
数年前、「あんたも行かんね。」と誘われ、お参りのお供をしました。

 太宰府は前日からの冷たい雨が降り止まない中、大勢の吐く息の白さが揺れていました。
 参道の両側を埋め尽くしているお店からは売り子の声。溢れかえった人波の傘を気にしながら歩いてゆきます。空気が、まるで針のように冷たく硬く尖ります。延寿王院を見て突き当たり、左に折れると境内です。
 久しぶりの天満宮。変わらない景色。ほぼ10年ぶりでした。
 広く美しい庭、池、木々。懐かしい、心字池に掛かる太鼓橋。
 池を流れる水の波、落ちる雨の円。緑の水面を滲ませる朱は鯉。
 ひょうたんくぐり門がかわいい。
 先にお参りを済ませうちわを購める母が「今年はお豆はありませんの?」なんてイヤシイことを言う。「申し訳ありません、もうなくなってしまって…」巫女の言葉にうちわをくるくる回して苦笑いの母。飛梅はその隣、流石(飛梅は天満宮一の早咲きです)よく咲いていました。
 本殿を過ぎると、受験期なので学問の成就を願う絵馬や瓢箪がずらっと並んでいました。千年楠に降る音の拡がり、まだ数えるほどしか花開いていない梅林。裏手の方は人が随分と減って、ゆっくり歩けます。一番奥の--何て屋号だったかな--茶屋の先で「そろそろ戻ろうか」母が言い、お稲荷様までま行かず引き返しました。
 「縁切りだから(寝も葉もない俗説、天神様は昔より縁結びの神様です)恋人と来て橋を渡ってはいけないって云うけれど…今の子はそんなこと知らんとやろうねぇ。」
 「どうかいな、こんな噂話し、結構今も伝わっとっちゃない?」
 「そうね、案外そうかもねぇ…そう言えばこのお茶屋、凄い美人さんがおって色んな有名人が来たげなね。」
 「そん人の往き帰りば楽にする為に、トンネル掘った人がおるっちゃろ?」
 「見たい?」
 「またにしよう。」
 「そういえば、あんたとお兄ちゃんの受験の時は、おばあちゃんとふたりで祈願祭お願いしたとよ。」
 「うわ、まじで?」
 「やっぱり本人がおらんと駄目ね。」
 「…ちゃんと受かりました。兄貴も受かったやん!」
 「あら、そう?」
 「そげなんしよったったい、ありがと。」
 下らない会話が弾んで楽しいです。
 その太鼓橋。高校生の頃付き合っていたコと渡り、見事に別れ…。
 おみくじも引きました。吉でした。母は大吉。なので、ふたりとも紙縒りにもせず財布に仕舞ってあります。特筆すべきは縁談。ナニナニ…苦労あれど成る、か。そうかそうか。遂に俺も長かった彼女イナイ歴に終止符を打つか。
 帰りは宝物殿、曲水の庭、菖蒲池と眺めながらアーケドをくぐるコースです。菖蒲池、随分昔--僕も兄貴もまだ小学生だったかな--、夜訪れるとライトアップされた菖蒲には人また人で、まったく疲れるばかりだったな。
 そんな風にして思い出すことは色々です。ばあちゃん、母親、マル(昔飼っていた犬は迷い犬で、拾ったのも名付けたのも私です)とは何度も来ました。マルはまだ生きていたし、ばあちゃんも元気だった。けれど激しい感傷にはもう襲われません。ちょっぴり寂しさを感じても、いい思い出です。
 ちいさな、ひなびた、きっとお日様のひかりが似合うアーケード。母親は、「あんたらえらい喜んどったとよ。」と教えてくれましたが、なるほどここは子どもだった兄と僕が(今でも?)大喜びしそうな雰囲気だけど、悔しいかな憶えにありません。天満宮にこんなアーケードがあるってことを、今の僕は知りませんでした。ちくしょう。ここにも茶店が並び、お土産屋が並び、短い区画ですが傘を畳んだのも楽しかったです。
 アーケードを抜け心字池の脇でまた傘を開いて水面を眺めていると、岩影に何かちいさく動くものがあります。それはとてもちいさいものでしたが、何故か目によく映えて感じられました。
 見ると鳥でした。
 緑に見えた羽色。最初は鶯かと思いましたが、目を凝らすと緑ではない、鮮やかな青。あれは…ひょっとしてカワセミかな…カワセミかな…そうだ、あれはカワセミだよ…カワセミだ!!
 僕は田舎育ちのくせにカワセミを見たことがありませんでした。
 テレビでしか見たことのなかったカワセミが、数メートル先の岩にちょこんとしています。
 羽根をまるまる膨らませているのは、きっと寒いから。
「ちょっちょっ…あそこ、カワセミがおるばい…梅の向こう、岩のとこ。」
「あら、まぁ本当、こんなところにねぇ…。」
「やっぱりカワセミったい…めちゃくちゃ可愛いいね。」
「ほんと、可愛い。」
「初めて見た。」
「あら、そうね、お母さんも数えるくらい」
 ふっと飛び立って…カワセミが飛ぶ姿は、想像以上に美しいものでした。羽撃きの速さで流線型の躯をほとんど振らさず、滑らかな弧を描く。そして池にはり出した黒い梅の枝に止まり、首をちいさく動かします。しばらくすると向こうの茂みにまた飛び掴まって休み…ひとり雨を振い、佇み…。
 母親が言います。
「逆瀬谷で、何回か見て…あとは紅葉ヶ丘の家でも見たわ古刹。」
「紅葉ヶ丘におったとね。」
「何回か見たわ。」
「知らんやった。」
 風が強まって雨も斜めですが、どちらも笑顔です。
「あと一回。飛んで欲しいね。」
「ほんと、ねぇ、もう一回飛んで見せて。」
 母親は語りかけますが、じっと10分くらい眺め、身体も冷えきって、諦めることにしました。
 カワセミ、思ったより嘴がちいさかったです。雨の中、その輝きは慎ましいものでしたが、晴れの日はきっときらきらとするのでしょう。
「鳥は燕が一番好きやったばってん、変わったよ。」
「そう。」
「うん、カワセミ。」
 思い浮かべるカワセミ、今も凛として可愛らしいです。また会いたいです。

 その後、近所の古刹まで足を伸ばそうと母が提案しました。
 参道から外れる途端に、あれほどあった人影がなくなります。背後に、その気配も遠ざかり、街の佇まいがはっきりと感じられました。
 向かう途中、駐車場で骨董品を広げていたので覗くと、目にとまったのは雨ざらしの大皿です。絵図はニ尾の鯉。溜った雨を喜んで、泳いでいるようです。可愛い珈琲カップは有田で、びっくりするくらい高かったけれど、あれで飲んだら美味しそう。
 光明寺は初めて行きました。けれど見覚えがあったのは、いつか生徒さんに見せてもらった写真の一枚にあったから。堂々の構えです。母親はずんずんと境内を奥へ進んで行きます。
 靴を並べて母親が、「もうこの千円は雨漏りがすごいと。」そう言って笑いながら、すっかり濡れた靴下を見せてくれました。上がりで足跡が濡れています。母親に新しい靴を買ってあげたいけれど、それをすると、母親が、再婚相手の吝い旦那に、必ず嫌味を言われるだろうから出来ません。
 飾らない風でも意匠の凝った造りの柱は古く、しっかりとした床板は清潔で…でもなんて冷たい床なんだ!
 母親が連れてきた理由は、時期には大勢の人を集める庭園、大小三十本余りの紅葉です。苔むした岩、石庭に雨が降る様は正座していても、時が経つのを忘れさせました。
もう40年も昔の元旦に、母親はここで初点をしたそうです。その頃は、まだ奥山の岩肌が露で、木々もやはり小振りで、芍薬もまばらで苔も今よりは浅かったそうです。その青春の中で、時間の流れる力強さは、庭を豊かにし、母親の顔に幾筋も皺を描きました。
 見れば母親は何を思ったのか声も立てず泪を流していました。出鱈目な僕なりにでしかありませんが、大切にしよう。そう思います。
 雨がやんで、梢の雫がビーズのように反射していました。
「すっごくいいお寺やね。」
「でしょう?また、若葉の頃に来ようね。」
「うん、きっと。」
 買われてからずっと母親の掌でくるくる回っていたうちわが、乾いて波打っていました。
「厄よけに。」と言って母親が扇いでくれたので、お返しに「福呼びに。」と扇いであげました。
 ぎっしりあった車もすっかり減った駐車場に着くと、太陽が雲の上で中天を過ぎる時刻。
 遠く背振の頂きに、一際鮮やかな陽光が落ちていました。





散文(批評随筆小説等) 大宰府にて Copyright soft_machine 2010-12-31 07:33:45
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