きれいな玉になれば、あるいは
光井 新

好き嫌いのある人を、私は好きになれない。まぁ、嫌いにもなれないし、つまりはどうでもいいのだけれども。
そんなどうでもいい事を、少し、書いてみようと思う。もしかしたら、書いているうちに、どうでもよくなくなるかもしれない、そんな風にちょっぴり期待しながら。
なんて思ってたけれど、やっぱり、この気持ちは期待じゃないのかもしれない。もしもこの期待が本物だとしたら、裏切られ時にはガッカリするべきだと思うけれど、どうもガッカリする気配がない。裏切られた時にガッカリしないものを、期待とは呼べないような気がする。
と、それこそどうでもいい事なんじゃないかしら。でも、まぁ、そもそも今日はどうでもいい事を書こうとしているのだから、どうでもいい事甲に加えて、どうでもいい事乙を書いてもいいんじゃないかとも思うのだけれど。
それは丙で、いつのまにか三つ巴になっちゃったみたい。この調子でどうでもいい事がどんどん増え続けていっちゃうと、どうもまとまりそうにないし、最初に書こうとしていた事を書けそうにない。でも最初からどうでもいい事だったのだから、別に書かなくてもいいのかもしれない。本来、どうでもいい事同士なら、優先順位なんてないはずなのだから。
どうでもいい事の取捨ほど、どうでもいい事はない。どうでもいい事なんて捨てて、忘れて人は生きていく。そうでなければ、前に進む事なんてできない。
私は今立ち止まっている。
道端で拾ったどうでもいい石ころを、どうでもいい気まぐれか、どうにも磨いてみたくなった。


散文(批評随筆小説等) きれいな玉になれば、あるいは Copyright 光井 新 2010-12-16 05:59:37
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