生まれの日
salco

誕生日を祝ったりする
成長段階を経てしまえば老化して行くだけなのに
自分の生まれ出た日を記銘して再来させる
これは不思議な慣習だ
去年の今日が今年の今日でないように
刻々と老衰に向かう肉体もまた
1年を単位に衰微しているのではない
地球が太陽の周囲を365日プラスαで公転しているだけで
その法則に便乗した誕生日の巡りは、実質的に架空なのだ

生まれた時から直線上を死へ向かって歩くのに
どうやら我々はその道程に螺旋をイメージしたいのらしい
ライオンに食われるシマウマやインパラなどとは違い
1ミクロン狭まる同心円上で過去と現在、
既知と葛藤を揺曳しながら
未知なる死へと極力ゆっくり歩を刻みたいのらしい
「我思う、故に我あり」式の、
自己認識のありようを誇示してやまないこのナルシシズムには
一方で看過できない謙虚さも含まれている
協調の音色も流れている
ピアニシモのひとり言
うれしい楽しいハ長調の

誕生日おめでとう! 誰かに言ってもらう
誕生日おめでとう。 自分で言ってあげる

生きている
お祝いの意義は、過去から連綿と今在ることの感慨
頭蓋に鎮座ましますこれが本日のメイン・ディッシュ
ましてそれを共にする相手を持てるのは僥倖と言う外ない
よくぞ生まれ、貴方は今、生きていてくれると思い合う
父母兄弟、子孫、配偶者、恋人、友人、同僚、ペットも
だから幸せの総量はいつも計り知れない

幸福という充足は主観に過ぎない
けれどそれを他の言葉に、
例えば安寧とか平安と置き換えた時
人類はこれを数値化する手段を永劫持てないのだと気づく
私達の存在はあまりに儚く
神託を捧げ持つにはあまりに愚かしいからだ
ただ大気ほどの知遇に微笑を返す
これも人間の大切な仕事なのではないか

誕生日おめでとう、再た年食って
まだ生きている 再た生きている
孤独であっても無一物ではない
自分がいる
空の青が上に在るだけでも、生は貧ではない
地面に影曳く存命の、その持ち時間は闇ではない
「本当かよ」
ただ、このように言う時だけは
越し方と行く末の間で寂しさを払おう 
さらっと
空しさを暫時、棚上げする 
しれっと

この今、その掌上に在るのがたとえ自嘲であれ
誕生日おめでとう


自由詩 生まれの日 Copyright salco 2010-12-04 19:19:48縦
notebook Home 戻る