国道 点滅する信号線
ブライアン

 何週間ぶりだろう。夜、走りに出かけた。
 走り出して直ぐに気がついた。季節が変わった、と。アップダウンの多い住宅地の間、短い間隔で等しく並んだ蛍光灯の光が緑色を帯びているように見える。敷地に植えられた生垣の葉のせいか、鱗雲の隙間から見える月のせいか。体に当たる風は生暖かくも冷たい。満員電車の中、触れ合う見知らぬ他人のような感じだ。何ものでもない、ただ其処に何者かが走っているだけ。体を突き抜けるようにして触れ、通過し、体だけを置いていく。
 もうずっと前に、秋の気配を感じていたのかもしれない。少なくとも、天気予報士はそんな素振りだったし、会社の同僚も秋だなあ、なんていっていた。住宅街の交差点、点滅する信号、小さな神社には七五三の旗が立っている。秋だなあ、と感じる。走るスピードを上げる。他人のような風をより一層感じる。点滅する信号の赤い光が道路に照らされる。暗くつめたいアスファルトの上。
 
午後九時を過ぎると、故郷にある唯一の信号機は点滅を始める。唯一の歩道橋にその光が反射する。国道の横、細い歩道には雪が積もっている。靴の中にしみこむ冷たい水の音がする。クチャクチャ、と。点滅する信号の光は、白い雪の上、どこまでも届いている。月光は雪に反射して青い。時に、トラックの通過する光が国道を照らす。交通量は少なくも多くもない。一般的な田舎の国道そのものだろう。東は福島県に延び、西は新潟に延びている。かつて、上杉藩の財政難を苦に逃げ出した農民達が、伊達家に救いを求めようと辿った道。その半ば、上杉藩の役人に見つけられ、処刑された道。
 かつて、イザベラバードが訪れ、東洋のアルカディア、と称した盆地には、天領と上杉藩領との間で揺れ動いた農民達の血が沁み込んでいる。秋、収穫時期になると、盆地一体の水田は黄金になる。稲穂だ。今や全国有数の米の生産地となったその盆地に、赤いトンボが田の上に群がる。トンボは稲穂に触れ、尻尾を赤く染める。稲穂から怒りを取り除くためだ。発展は敗者にしかない、と言った哲学者は誰だっただろう。彼らの血は深く地中に蓄えられた。長い冬が来て、四方に囲まれた山々に雪を運ぶ。春、日差しが強くなると、雪は溶け出し、地中深く、地下水となる。地下水は扇状地を作る。扇状地は豊富な養分を蓄えた水分と、発展に欠かせない敗者の血を織り交ぜ、黄金の土地を作る。
 トンボは秋の風と共にやってくる。最後に残された彼らの血を吸い上げるために。そのため、この地に夕焼けが起きる事はめったにない。青白い昼の光を保ったまま、太陽は山に沈む。これ以上、赤く染めてはいけない。既に起きたことを再び繰り返す必要はないのだ。昼のまま夜に変わっていく中、住民達は茶の間に集まる。父はビールを飲み読売巨人軍を応援するだろう。母は台所で家事をしている。祖父母はそれぞれの場所で、手仕事をしている。今や必要とされなくなった小さな仕事だ。子供達はテレビの前で、父と共に野球を見たり、隙あらばテレビのチャンネルを変えてやろう、と伺っていたりする。中高生になれば、自室にこもる。窓の外からは鈴虫や蟋蟀の声が聞こえる。つい先日までは蛙が鳴いていた夜に。
 
 住宅街を走り続ける。買ったばかりのマンションへ戻る途中、鈴虫が鳴いていた。小高い山の頂上。見下ろすと、国道246号線が見える。トラックの音がひっきりなしに聞こえる。おそらく交通量の多い国道の一つだろう。自宅のマンションは246号線沿いにある。マンションから聞こえるのはトラックの音ばかりで、鈴虫の声も蟋蟀の声も聞こえない。坂を下る。徐々に246号線のトラックの音が聞こえる。戸建の家が並び、明かりが灯されている。テレビは何を見ているのだろう。中高生は何をしているだろう。まだ、この辺りが住宅地ではなかった頃、職場から逃げるようにして住み着いた人々。定年を迎えようとする今、彼らの汗が土地に沁み込むことはない。アスファルトで固められてしまったアルカディアなのだ。彼らの汗は道を流れ、排水溝に落ち、下水溝に流れる。下水処理場では薬品で汚水を浄化したものだけを川へ流す。彼らの汗はどの段階で空へ放たれるのだろう。風が、吹く。引っ越してきてからまだ1年が過ぎただけだ。浄化され、希薄にされた彼らの汗を感じるほどの資格はまだない。猛ダッシュで駆け下りる坂道。以前のように速く走れない。足がもつれるようにして、前へ前へ、と繰り返される。ただ、生暖かい風は、他人のように冷たく体を通過していくだけだった。


散文(批評随筆小説等) 国道 点滅する信号線 Copyright ブライアン 2010-10-18 00:16:37
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