私の好きにさせてくれ 2
テシノ

前回のような文章を、自分の中では「ヒッチハイク書き」と呼んでいる。
テーマを定めず書き始め、そこに出てきたキーワードが次の文章の行方を決める。
目的地が決まっているヒッチハイクとは多少ニュアンスが違えども、先へ進む手段を次々と乗り換えていくあたりからそう名付けた。
正直言って、あまり読まれる事を前提としておらず、どこにたどり着くのかわからない自分をただ楽しんでいるという点では非常に無責任だと言えよう。
それはいわば地図を持たない旅のようなもので、自分の軌跡が地図となっていく。
本来、地図とは先立つものであり未来のためにあるものなのだ。
過去を地図にしたって、それは単なるノスタルジアだ。
過去なんてものはジーパンのチャックが開いてる事に気付いた時だけ振り返ればいい。
一体いつから。誰と会ったか。その時どんな体勢をとったか。
しかし、私は未来を考えるのと地図を書くのがとても苦手なのだ。
あ、すみません、なんかわりと真面目に書き始めちゃいましたが、今ヒッチハイクしました。

地図書くの苦手なんですよ、私。
だけど仕事柄、地図書く機会が多くて困る。
今の世の中、地図なんてネットからいくらでも引っ張ってこられるし、カーナビっていう文明の利器もある。
あるんだけど、そんな事知ってんだけど、どうしても仕事の性質上、手書きでなきゃならん事があるんですね。
もうね、私の地図で遭難した人の数が、社内でもわりと問題視されている。
地獄絵図を略して地図か?とか、お前の地図で一個師団くらい軽く殲滅できるぞ?とか、見る人にそんな事を言わせちゃう。
そんで、一個師団って何人なんだろと思って調べたら、1万人って言われた。Wikipedia教授に。
さすがに1万人は無理だよ荷が重いよって思ったけど、よく考えてみりゃ、間違った地図で行軍したら何かの拍子に半分くらいは逝っちゃうかも知れない。

19世紀の初め頃にね、フランスのとある印刷会社が発売してしまったエラー地図があるんですよ。
まぁそれは普通の市街地図だったから、回収騒ぎが起こっただけで済んだようですが。
何がいけなかったかっていうと、その地図、河川が一本も印刷されてなかったんですね。
名付けて「ノーリバーマップ」。今や古地図愛好家達の幻の一品扱いらしいです。
ずるいよねぇ。私が書いた地図と何が違うって言うのさ。
しかし世の中にはそういう失敗作みたいなものを集める好事家も多いみたいですね。
私の知り合いにもそのテの人種がいまして、彼の幻の一品というのが結構面白いんですよ。
こっちは17世紀後半、オランダで作られたかなり大きな振り子の置き時計なんですけどね。

元々振り子ってのは、かのガリレオさんが発明したものなんですが、これを時計に転用したのがオランダ人のホイヘンス。
制作当初は狂いまくりの酷いものだったんだけど、そう間を置かずしてかなり正確に時を刻むように改良されていき、やがて巷に出回るようになった。
そうなると時計は単なる実用品としてではなく、装飾品としての美麗さをも追求されるようになっていった。
17世紀は折しもバロック期、あらゆるものが華美であればあるほど人々に喜ばれたってぇ時代です。
技術だけしかもたない時計職人達は家具職人と組む事で、より装飾性の高い時計を作り上げるようになっていったんですね。
そんな中、ホイヘンスのおひざ元であるオランダに、一組の時計デザイナーが現れます。
ハンス・イグナーツとファン・ベーヘメン。
イグナーツが時計担当、ベーヘメンが装飾担当でした。
この二人は大変売れっ子だったようで、結構な数の時計を世に送り出しています。
とは言え、彼等は芸術家ではなく一介の職人。
自分達が制作したものに名前を入れる事なんて許されなかった。
そこで二人は考えた。
名前が入れられないのなら、一目で自分達の作品であるという事がわかればいい。
てなわけで、彼等は自分達の作品に共通する2つの特徴を作ったわけです。
本体の素材にはローズウッドを使う事、そしてそのどこかに必ず火焔模様を入れる事。
これらの特徴から、のちに二人の作品は「ロート・フランボワイアン(赤い炎)」と呼ばれるようになったんですね。

さて、そろそろ彼等の失敗作の話を。
失敗作とは言っても、それはイグナーツの確信的な犯行でした。
その業界ではちょっとした有名人になった二人、ある日なんとオーストリア帝国の皇帝に献上する時計を作らないか、という話が舞い込んできた。
これは大変な事ですよ、大変名誉な事ですよ!と喜んだのはベーヘメン。
イグナーツは渋い顔をした。いや見てたわけじゃないけどさ。
というのも、イグナーツはオーストリアの出身で、わりと気位の高い男だった。
当時のオーストリアはハプスブルク家が統治してたんだけど、時の皇帝はオーストリア帝国始まって以来初のハプスブルク家出身じゃないルドルフ一世。
イグナーツはこれがすっごく気に入らなかった。
実は彼の家系は代々ハプスブルク家お抱えの楽器職人だったもんで、はっきり言ってルドルフを馬鹿にしてたわけだ。
そんで、あろう事か献上時計にある仕掛けをしてしまう。
ほら、イグナーツは時計担当だから。その時計部分に細工しちゃった。
ベーヘメンはなんにも知らない。最高級のローズウッドに技の全てを出し切って装飾を施した。
そんでまた、ルドルフもなんにも知らずに一目でこの時計に惚れ込んだ。

で、その日の夜。
いや正確に言うと、午前0時を30分回った時だから、翌日になるんですが。
時計が時を告げたんですね。ボーンと。
0時30分なのでボーンと1回鳴るのはいいんだけど、この時計、ボーンでは済まずにボーンボーンと鳴り続ける事13回。
0時に12回鳴ったその30分後にいきなり13回鳴る振り子時計、それも深夜に。
これはちっとばっかし怖いですよ。
しかもヨーロッパじゃあ宗教上の理由から、13という数字は忌み嫌われているじゃないですか。
というわけで、イグナーツとベーヘメンはすぐさまルドルフから呼び出しくらった。
狂った時計を余に献上するとは何事ぞ!お昼にも13回鳴ってたぞこら!とその場で首をはねられんばかりの勢いで叱責される。
暇だよねぇ、ルドルフさん。たかが時計じゃん。
しかし彼は元々少し変わった人だった。
オカルト趣味が高じて、怪しげな技をもつと噂のある一般市民を宮廷に召し上げて変な実験に入れ込んだり、なんて事もあったようだ。
まぁ暇だったんだよね。平和な時代だったし。

さて、真っ青になるベーヘメンに対して、当のイグナーツは怒り狂うルドルフを前にしても涼しい顔。
「俺達の時計をそんじょそこらのものと一緒にしないでくれないか。
存在しない13時を報らせる時計を持ってるなんて、世界中であんた一人だけだぜ?」
言い切った、言い切ったよこいつ。どう考えても詭弁だろ。
しかしまたルドルフも「あ、そっか。言われてみればそうかも」って納得しちゃう。
狙ってたね、イグナーツは絶対、ルドルフのオカルト趣味を。
でも、そもそも外観は素晴らしいものなわけだし、時計としての機能に差し支えてるわけじゃないから、確かに変なもん好きなルドルフとしてみりゃ自分の嗜好を満たしてくれる一品と言える。
そして普段から市井と積極的に関わっていた彼は、イグナーツの堂々とした態度にも感服したのかも知れん。

そんなわけで、二人はお咎めなしどころかルドルフに気に入られ、その後もいくつか「13時を告げる時計」を献上した。
これを現代の愛好家達は「ロート・フランボワイアン」の中でも特に「デルティン(13)」と呼んで、垂涎の的としてるってーわけだ。
ま、全部嘘なんだけどね。

深く考えずにつけたタイトルなんだが、こうなると正解だったかもわからんなと思っている。


散文(批評随筆小説等) 私の好きにさせてくれ 2 Copyright テシノ 2010-08-27 08:56:31
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