商業詩誌の潰し方
いとう

初出:詩と思想2010年5月号
「ネット詩の可能性」というテーマで依頼を受ける




 私自身の話から始めて恐縮だが、以前声高に叫んでい
た「ネット詩」という言葉を、何年か前から意識的に使
わないようにしている。この言葉がまだ残っていること
自体、ネット上の詩の活動がまだ何も成し得ておらず、
かつ、他の媒体がネットという「ツール」に向けて、何
らアクションを起こせていないことの証左だと考えるか
らだ。「ネット詩の可能性」というテーマで原稿を受け
たが、実際、語るないよう場おそらく本誌二〇〇三年八
〜十二月号のインターネット時評の中で私自身が述べた
ものとあまり変わらないものとなる可能性がある(バッ
クナンバーを持たず参照できない方のためにネット上で
の同原稿掲載URLを載せておく
http://poenique.jp/jisakusi/ronkou/jihyou.htm)。
そして二〇〇三年から焼く7年経った今でさえ、変わら
ない内容を書かざるを得ないということそのものが、前
述の状況を示しているに他ならないだろう。


●「ネット詩」の現状〜投稿サイトの功罪〜

 ネット上の詩は投稿サイトの存在によって拡大してい
った経緯を持つ。その時期その時期によって中心となる
投稿サイトがあり、そこに人が集まり交流が生まれてい
るのは確かであり、実際、投稿サイトがポータルとなっ
て「ネット詩」と呼ばれるものの傾向が他の媒体に向け
て可視化されているように見受けられる。他の媒体から
寄せられる(的外れな)批判は特に、その傾向そのもの
を「ネット詩」であると錯覚、誤解、あるいは規定して、
他の媒体の特性を、ネットという媒体特性を無視した形
で押し付けて展開しているものがほとんどだ。そこには
何重もの無理解が錯綜しており、批判と言うのもおこが
ましいものまで存在している。

 確かに、批判対象とされる「ネット詩」の傾向、ある
いは「空気」とも呼べる雰囲気自体が、ネット上に存在
することは否めない。(しかしそれが、「ネット詩」で
はないと断言しておこう)。何故ならポータルとして機
能する投稿サイトに集う人々は、極端に言えば、詩が読
みたいためではなく、自分の詩を読んでもらいたいため
に集っているからだ。そこでは詩作品がコミュニケーシ
ョンツールとして機能してしまい、作品にとって必要不
可欠な批評性が埋没してしまう。「ネット詩のカラオケ
ボックス化」という批判はまさにこの点を示しているの
だろう(ただし私自身は詩のコミュニケーションツール
としての間口の広さを否定はしない。それは詩にとって
のアドバンテージであると考えている)。そのような場
がどれだけ数多く存在し、どれだけ数多くの人が集まろ
うと、そこからは確実に何も生まれない。ネット所で投
稿サイトだけがポータルとして機能している限り、その
状況はまったく変わらないだろう。しかしもちろん、批
評性の獲得を目指して努力している投稿サイトもあれば、
投稿サイトの中で批評性を保持しようと奮闘している人
もいるし、投稿サイトという「機能」からの脱却を図ろ
うとしている場すらネット上には存在している。投稿サ
イトは単なる機能であり、それが現在ポータルな場とし
て可視化されているからといって、投稿サイトの詩およ
びその場の空気=ネット詩と規定してしまうのはあまり
に乱暴過ぎる。何より批判者はその空気のみを対象に批
判しているのであって、個々のサイトの独自の傾向まで
言及したものはまったく存在しておらず、ネット上の詩
群を実際に読んでいるのか疑わしいものさえある。そし
てそのような批判が何年も前から形すら変えずに延々と
詩誌で繰り返される状況は、見ているこちらが辛くなる
と言わざるを得ない。


●インターネットの媒体特性

 投稿サイトの詩およびその場の空気=ネット詩と規定
してしまうことの危険性については、批判に対してだけ
ではなく、「可能性」を考える場合にも、危惧しなけれ
ばないだろう。批判にしろ可能性にしろ、それらについ
て考えるならば、まず、ネットという媒体の特性を把握
する必要がある。そこにはもちろん他の媒体と異なった
特性があり、それを踏まえなければこの媒体の長所も短
所もわからず、何ら解決の糸口に結びつかない。とりあ
えず簡潔に二点ほど、現在、自身が考えている特性を挙
げておきたい。

 特性のまず一点は、すべての作品の顕在化だ。紙媒体
では、紙媒体の特性である編集機能が働くため、読むに
耐えない作品は表出できない。しかしネットには(基本
的に)編集機能が存在しないため、そのような作品も並
列で表出される。時々、「ネット詩はつまらない作品だ
らけだ」という言説をみかけるが、それはネット上だか
らではなく、ネット上でそれらの作品が表出しているか
らだと断言しておく。たとえば書いた本人、あるいはそ
の友人といった極めて少数の目にしか触れないノートの
隅にでも書かれていたような詩が、ネットの出現によっ
て多数の目に触れ得る形で提示されているに過ぎない。
紙媒体で内在化しているものも含めれば、質の高低にお
ける媒体間格差は存在しない。

 さらに言及するならば、ネットにおける「創作と発表
のタイムラグのなさ」もその顕在化に拍車をかけている
のは事実だ。安易な発表を促すシステムは、確かに他の
媒体特性から見れば危険極まりない。しかしだからこそ
ネット上で真摯に詩作を続ける人たちは、編集機能を自
身に内在化させる必要性が他の媒体よりも高いと言える。
その意味において、ネット上での詩作の方が、他の媒体
での創作活動よりも、孤立性が高い。あるいはだからこ
そ、紙媒体に流れていく。実際何年も前から、詩誌の投
稿欄で見かける名前の半数程度は、ネット上で見知った
名前であったりする。媒体間の越境を見据えた場合、こ
の流れはとても良い傾向だと思う。すでにそのような良
質な場が他の媒体にあるのだ。ネットという媒体自身が
わざわざそれを肩代わりしたり再構築する必要は(今の
時点では)まったくない。

 もう一つの特性は、あらゆるシステム(機能)が創造
できる点だ。じつはこの特性は前述したネットの特性に
おける短所を凌駕する可能性を秘めている。たとえば前
述の「創作と発表のタイムラグのなさ」も、タイムラグ
を保障するシステムをネット上で作ればよいだけだ。そ
れが可能なのがネットであるし、逆に一篇の詩を数ヵ月
かけて複数人で批評することもできる。詩誌と同じシス
テムをネット上で作り上げることさえ、やろうと思えば
できる。批評しえの欠如が媒体特性に由来すると仮定す
るならば、また別の特性によってそれを打ち消すことが
できるのもネットなのだ。

 もちろんそのシステムに人が集まるかどうかはまた別
の問題である。ネットの発展は記録の蓄積からではなく、
コミュニケーションシステムのアレンジからしか生まれ
ていない。初めはホームページだった。それがブログに
なり、SNSになり、最近はTwitterのような新しいシス
テムが生まれ、それが時流になり、発展している(よう
に見える)けれども、実際のところ、参加者が行ってい
ることはほとんど変わっておらず、どのようにコミュニ
ケートするか、その一点のみが変化しているに過ぎない。
その中で、媒体特性を打ち消すシステムを構築したとし
ても、その運営維持に疑問が残るのは確かだ。そしてそ
れは、「ネット詩」だからではなく、ネットだからこそ、
あるいは「人間」の性質と大きく関っていると考えられる。


●媒体の壁がなくなっていく中で

 携帯端末の進化により今後十年程度のスパンで、ネッ
トと他の媒体間の壁はどんどん薄くなっていく。これは
確実な社会の時流であって、その中で、詩という今や瀕
死の文化がどのように生き残っていくかを模索していか
なければならない時期にさしかかっている(私見では手
遅れと思っているくらいだ)。ネットと紙を分離して考
える発想自体がすでに時代遅れであって、その点、ニッ
チな分野こそネットとの親和性が高いにもかかわらず、
詩の出版社は何もアクションを起こしてこなかったと言
わざるを得ない。だからこそ投稿サイトという機能がネ
ット上で主流になっているとも言えるし、現状で仮に、
詩誌と同等のシステムがネットで構築された場合、ブラ
ンド力の行使において、ネット上での展開を無視してき
た商業詩誌は明らかに不利益を被ると確信している。大
手詩誌の読者数と、ネット上で大きな影響力を持つポー
タルサイトのユニークユーザー数と、今やどちらが多い
のかは自明だ。ましてや詩集どころか詩誌を手に入れる
ことさえ困難な時代において、ネット環境さえあればど
こでも閲覧可能な存在が出現すれば、現状でさえいつ潰
れてもおかしくない運営状況の中、ネット運営と比べて
莫大なコストがかかる商業詩誌がどこまで持ち堪えられ
るか、疑問を提示せざるを得ない。

 今後ますます媒体の垣根がなくなり大手サイトや出版
社がフラットに並び、これらコンテンツホルダーがホル
ダーとしてではなくコンテンツそのものとして「読者」
に提示されてしまう状況が確実にやってくる。そのとき、
それまでに商業詩誌が何もしてこなかったとすれば、た
だでさえコミュニケーション機能としての側面が強いネ
ットという媒体の台頭の中、その圧倒的なブランド力と
歴史と先行者利益が灰燼に帰してしまう可能性すらある。
それこそ文化の崩壊、暗黒時代の到来だ。そうならない
ために何をすべきか、それが今緊急に語られるべきこと
であり、「ネット詩の可能性」などは、その後ゆっくり
と談笑すればよいのだ。ネットと紙が対立するなどとい
う幻想が取り払われた後、両媒体が文化の担い手として
手をつないでいる状況の中で。



散文(批評随筆小説等) 商業詩誌の潰し方 Copyright いとう 2010-07-17 22:16:12縦
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