どこで出あうのか
七尾きよし

分かち合うという行為は分かち合える時に起こる行為で、分かち合える相手と分かち合えるだけで、それ自体特に特別な意味があるわけではない。ぼくらの自分自身を肯定し、承認されたくてしょうがない根源的な欲求が求めてやまないのだろう。受け止められたい感覚だ。還るべきは、その受けとめて欲しいという欲求のところなんだろう。結果ではなく。そこでぼくらは一緒だ。
求めるかたちは人それぞればらばらなんだから。であえるはずがないのだから。
求めてやまない声。その声を聞いていくところに、ぼくらは皆うけとめられているのだ。


自由詩 どこで出あうのか Copyright 七尾きよし 2010-06-17 03:12:26
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