テレビの隅っこ
番田 

空っぽな日々なのにひどく疲れている。俺なんて「誰にも存在しない」のだろう。庭は日の光を浴びてガラスケースのような色をしている。白色をした煙草の煙も芝に漂っているように思える。俺は目玉化してそれらを捉えていく。何か「無駄なこと」をしているのかもしれないと思った。モニタの中にはアメリカ独立戦争の文字。調べ物をしているわけではなかったし、もちろん学者でもない。星条旗の掲げられていたそこには「若者たち」がいたことだろうと想像した。パンやスープを見つめている人たち。結局のところ俺は何かを「求め続けていた」のかもしれない。

土曜日が終われば「日曜日」がやってきて、営業マンも張り付いていたスーツの皮を脱ぎ捨てることだろう。俺はぼんやりとテレビを一日中見ていたんだ。今日は「意味」があったのだろうかと考えている。馬たちのドタバタと走りまわっている番組は「競馬」に変わっていた。今は「無意味」なのだとしてもかまわないから、「過程」であって欲しいものだと願っている。


自由詩 テレビの隅っこ Copyright 番田  2010-06-06 05:32:26
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