手紙
高梁サトル

「果てのない孤独を感じるのは、まだ私が弱いからでしょうか。
私が未だ、言いようのない既視に打ち拉がれては瞼に幕を引こうとし、
触感を拒むのは、もう世に何がしかの光明をも信じていないからでしょうか。
かつてあれ程に焦がれたあなたの存在も、
今はただあやふやな信仰として胸の内にあるだけです。
実在味を帯びないあなたの双眸や言葉たちは、
記憶の中にこそ彩られて、
時に励みをくだし、
時に壮麗な過去への御物として私を飾ります。

習慣で追い求めるのはやめにします。
騙し騙しの執着もあなたを無意味な象徴に押し上げている、それだけです。
それで一時は(私は)救われましょうが、後で自責とより深い喪失に追われるのは既にある事実で、
近ごろでは自失への感覚も短くなりました。
憶測ですが、虚像の信仰をあなたにあてがった(私への)断罪の末路がこの、
逃れるべくもない、果てない暗礁の孤独です。」



『船は遠くから眺めれば大海へ乗り出した勇敢な姿に見えても、
近寄れば暗礁に乗り上げていたりします。
それでも人は船出を決意しなければならず、
その先に起こるであろう問題や困難を迎えなければなりません。
それらを解決する為に、あるいは紛らわせる為に状況に応じた救いを求め、
その手段は需要と供給の重要性だけが主な焦点となり、
プロセスを無視した短絡的な思考はしばしば不幸な結末を招きます。

人間に内在する幸福になる権利というものは、自らの為だけに使おうとすると途端に正常な形を崩し始めます。
それを知りながらも止められないのは、人間の原動力の大部分が、自らを維持する為にあるという所以でしょう。
それに少しでも気付かれたのであれば、あなたのあやふやな信仰も内在する恐れも緩和することでしょう。

ただあなたが欲しがったのは、何でもないただのスケープゴートなのですよ。
その両眼にどれだけ光を湛えても、口先だけの行為は返って私を失望させました。
ですが、そんなこともうお分かりでしょう。

聡明な人、
あなたとならば文解くことを躊躇ったあの穢れ無き聖書を受け入れるつもりでいたのです。
過ちを過ちとして受け入れ、白眼視されることなど気にも留めず生きてゆく覚悟もあったのです。

失敗や過ちを犯す者はひたむきに生きる道を模索しているのではないでしょうか。
我を失う程つらかった出来事から、懸命に自己再生しようとしているだけではないでしょうか。
健気に生きようとしているだけなのではないでしょうか。
恵まれた者と恵まれない者、持つ者と持たざる者。
乗り越え難い悲しみや、明日の希望さえ耐えがたい一日。
不平等や不幸は、この世に存在する。
善人だけが救われて、悪人は抹殺される、そんな世界は間違っています。
目も耳も手も足も心臓も同じように生された私たちが争い殺しあって何になりましょう。
これまでの私は耳触りのよい正論だけでつくった衣を羽織り、
怖がりな自分を了見の狭い幸福で包み隠していただけだったのかもしれません。

それももうやめます。』



私はあなたの凱旋をエーゲ海岸で毎日待ちわびました。
そしてそこにある日見えた、はためく黒い帆…
それを見た瞬間私はこの身を深海へと沈めたのです。
もう二度とあなたの体躯を抱き締めることがかなわないと感じた時の私の狂乱…
けれど、あれは金曜の晩だった、
金曜の晩だったのですね…

別れというものは、こんな些細なすれ違いです。
だから、もう気に病まずにお行きなさい。

あなたは愛する者にも愛される者にも恵まれることでしょう。
豊饒の女神フレイヤが付いているのですから。

いつでもこころはあなたの傍に。
あいしています。


自由詩 手紙 Copyright 高梁サトル 2010-05-06 06:04:21
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