壊れもの
千波 一也



非常階段で
セックスしよう、って言ったなら
きみは怪訝に嗤うだろうね

嗤う以外に
すべを選べないきみが好きだし
非常階段の
新たな用途の可能性が
微細に肯定されるかも知れないような
うやむやな瞬間が
原始の海の景色のように
未知めいていて
好きなんだ

つながりたい衝動は
途切れることなく続いてる
たとえば鏡の向こうのきみに
たとえばテラスの陽光の中
それから
故郷を見下ろす高台
それからヒールの靴音の途中
ね、
ぼくはいつだって
どうしようもないけれど
開拓はそういうものなんだろうし
開拓なくして
ロマンはないから



男という生きものは
ことごとく非力なものだって
つねづね思う
ほんとに
思う
そりゃさ、女の子より腕っぷしはあるけどさ
それ以外じゃ役に立てない
でも
それを認めたらやるせなさ過ぎるから
男たちは
筋肉を頼る
力強そうな鎧にあこがれる


きみは
ぼくの匂いが好きだと言ったね
でもさ、
男の匂いはよくよく知ってる
タバコの匂いや
ビールの匂い
疲れた匂いや
満ち足りない
焦りの匂い
汗の匂い

ところでさ
におい、って漢字を
荷負いと書いたらどうだろう
きみはまた嗤うだろうけど
そんなことのために生きてるなんて思うのも
しあわせってやつの入口なんだろうって
思うんだ

自分で言うのもなんだけど
けなげだよ、ぼくは


暑がりなぼくは
涼しいことが好きだし
水のなかに漂う自分を
想像するのも
実際に泳ぐのも好きだ
けど
ときどき深く
溺れてしまう

理由はよくわからない
よくわからないけど
きみの笑顔が
なにかしら関係しているような直感が
なんとなくぼくを
支配し続けている

夏ごとに
そう思う


そういえば
壊れたドライヤーを覚えているかい
壊れてしまった事実じゃなくて
あの働きものの
形や色や
風のここちのことを
覚えているかい
忘れたからって
罪にはならないけれど
ぼくはなぜだか忘れてしまえない

人はさ
壊れた後でしか
後悔できないように振る舞っているけれど
それは違う、と
最近気づいた

生まれたときから
命が終わりに向かうぼくらはね
壊れていくいっぽうなんだ
それも
とびっきり美しい完成形を経て
じわりじわりと
崩壊を味わうんだ
自分自身で
味わうんだ

たぶん
こんな恐ろしいことは
考えない方がいいに決まってる
だから男は突き進む
ためらいなど無さそうに
救いなど要らないように
生まれつきの呪縛を
生まれつきの聡明なガラスでもって
突き破る

男が
みずからの血に弱い理由が
なんとなく見えるような
気がするよね


おっと
長いこと話し込んでしまったけれど
こんな長話をするのも
きみが相手だからさ
普段は味方が少ない分
大きな海には
抗えないのさ

いや、
味方は欲しいよ
だからいつだって強がってる
相手の反応を見ながら
言葉を選んでる
キリキリと
胸の
ずっと奥が
軋む音を
聞かないふりで
日常のこととして言い聞かせながら
なに食わぬふりで


ぼくは
きみの子どもになれる
むしろならなくてはいけない
根拠はきみの
やさしさであるし
呼吸のためでもあるよ

だから
どこにいたって
ぼくを呼んでほしい
ぼくだけを呼んでほしい

いつしかぼくが
取り返しのつかない壊れ方をするとき
かなしい機械たちのような
安っぽい惜しみ方を
きみが
覚えてしまわぬように
壊れもののぼくを
慈しんでほしい

迷わずぼくは
それにこたえるから
こたえてきみに
春をあげるから

常世のはじまりの
春をあげるから


そんなわけで、さ
雑踏のなかの
心地よい死角でさ
セックスしようよ

なんにも持たない
ぼくと
きみと


壊れるくらいに
愛の途中で










自由詩 壊れもの Copyright 千波 一也 2010-05-05 23:41:15
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【きみによむ物語】