詩歴について。
いとう

初出:2000年「詩人専用シナプス」


 ヒマな時によく、詩のサイト巡りをする。ちょっと前まではwebringの営業のために、投稿コーナーのあるサイトを見て回ってた。Googleという検索サイトで、「詩の投稿」で検索をかけると約4万のサイトが引っ掛かるんだけど、1000程度まで見て回っていい加減飽きてやめた。
 「ネットにはくだんない詩が溢れている」という話をよく聞くけど、俺もそれは否定しない。それこそ何十万もの詩のサイトがあるなか、なんでこんなにレベルが低いんだと思うこともよくある。ときどき悲しくなる。ま、だからこそ、砂漠に埋まったコンタクトレンズを探すような作業の果てにたまに出会う素晴らしい才能に、とても感動を覚えるのだけれど。

 なんでこういう話から始めたのかというと、もちろんそういったネットの現状を嘆くためではないです。んと、そういった現状やくだんない詩を書く人を、非難・批判する人がいることを、個人的に憂いているからだったりする。俺自身詩を書き始めた頃に、それはもう、「ポエム」にもなってないようなものを作ってた思い出があるので、なんかね、非難する気になれないのよ(笑)。今につながっている昔の自分を否定しているようで。
 思うのだけれど、くだんない詩が溢れてるのはネットだけじゃないんだよな。詩誌などのネット以外の場所ではそれが見えてこないだけなんだよ。ネットだからこそそういったレベルの低い詩が表に出てるだけであって、別にネットだからくだんない詩がいっぱいあるわけじゃないんだよな。

 さて。なんか昔にどこかで書いた記憶もあるけど、ま、自分の詩歴などを。

 自分で詩を書き始めたのはもう20年も前、中学生の頃でした。ローカルのラジオで、送られてきた詩をアナウンサーが朗読する番組があって、そこにせっせと投稿してた。詩ときちんと向き合い始めたのは、ご他聞に漏れず谷川俊太郎さんの影響。それから図書館の詩集を読み漁るようになって、詩集漬けの毎日だった。中学生の頃に有名な近代詩のほとんどは読んだと思う。詩史もそのころに独学で勉強した。明治初期の浪漫派から始まり象徴派を経て、白樺派や戦後派などが台頭していく流れと、それぞれのポイントとなった詩や詩人などの歴史。あと「MY詩集」というポエム系の雑誌を購読してて、そこに載ってる自費出版詩集の広告から、気になったやつを買ってたりしてた。詩の書き方教室みたいな本も読んだ。凝り性なんだろうな(爆)。
 で、書いてる詩自体はもう、箸にも棒にも引っ掛からないようなやつ(笑)。最初の1年くらいはもうダメダメだったなぁ。ま、2年も書き続けてるとそこそこのが書けるようになってきて、前述のラジオ番組内でも、ポツポツと読まれるようになりました。思えばあの番組が俺の教室だったかもしれない。投稿して読んでもらえるというモチベーションがあったからこそ、詩作を続けることができたのかも。

 高校では文芸部の部長やってた(爆)。で、高校に入って現代詩と出会いました。伊藤比呂美とかそのへん。「現代詩はわけわからん」と思いながら「現代詩手帖」や「ユリイカ」なんかを読み漁ってた。はっきり言って今でも現代詩はよくわからん(笑)。でも、よくわかんないなかでも好みに合った詩人さんなんかもいて、そういう人を見つけるのが楽しみでした。現在敬愛している詩人さんの中に井坂洋子という人がいるのですが、この人もその頃に見つけた詩人さん。なんか女性の詩人の方が俺の性に合ってた。男性の詩人はあまり記憶にない(笑)。まぁ、中学高校時代に自分が読んだり買ったりした本の半分以上は詩集だったと思う。
 詩作ももちろん、現代詩の影響をかなり受けました。でもなぁ、あの頃はまだ、独り善がりなものばかり書いてたような気がする。ちょっとした題材を見つけてそれなりに雰囲気が出るように工夫して一丁上がりって感じ。それで満足してた。形は整ってるしそれなりの中身も主題もあるけど、でもそれだけの詩。あと、わざと難解な言葉を使ってみたり、意味もなくビジュアル的な詩や実験的な詩を書いて、現代詩っぽいよなぁとか(爆)。この頃はまだ、「読者の側に立って書く」なんてこと思いもつかなかったです。

 大学入って2年くらいまではそんな感じでした。そのうち小説の方が面白くなってきて現代の小説をきちんと読むようになり、また、芝居をやり始めてそっちの方に熱中したせいか、詩を書かなくなりました。29歳くらいまで。なので8〜9年ほど詩作にブランクがある。それまでに書き溜めた詩は160編ほどになるけど、それはもう全部捨ててしまった。詩集や詩誌も読まなくなった。今ホームページにアップしてる詩はすべて、詩作再開後の作品と、当時書いたのを思い出したやつを再構築したものになってる。
 このブランクはなんだったんだろう。今でもよくわかんないです。でもこのブランクは俺の詩作の糧になってると感じる。どこがどういうふうにと言われると説明できないけど、感じるのは確か。「人生経験」というやつかもしれない。

 詩作を再開したのはパソコンを入手してから。1年くらいは、3ヵ月に1作くらいのペース。そのうちニフティの詩のフォーラムに入って、それからまた精力的に書き出して、今に至る(笑)。
 じつはね、再開後はほとんど詩集や詩誌を読んでないんですよ。なんか読む気になれない。批判するわけじゃないけど、詩誌なんかをパラパラめくって読んでも、俺が高校の頃に読んでた内容とそんなに変わらないじゃないかと思って。面白いんだけどね(笑)。そしてたぶん、いろいろ変わってはいるんだろうけどね。今の俺と合わないんだろう。そのうちまた読みふけるようになるかもしれない。今はネット上で詩を読んでる方が楽しい。


 話を戻そう。最初の話。
 ネットには確かにくだんない詩やポエムが溢れてます。でもね、それを嘆いてるだけじゃしょうがないと思うのよ。中学や高校の頃の俺が「つまんない詩ばかり書いて」とかそんなふうに言われたら、もう手も足も出ないもん(笑)。ヘソ曲げちゃうよね(笑)。んー、嘆くヒマがあったら、そういう詩や書き手を非難するヒマがあったら、これはこれで不遜な発言なんだけど、彼らをきちんとさらに上の高みへ引き上げられるようなものを作っていくべきじゃないのかなと。俺らがその節々で影響を受けた詩や詩人と同様に。
 たとえば「POEM CLUB」なんかよく引き合いに出されるけど、じゃあ「POEM CLUB」に投稿される作品群をバカにしてる人たちが、あそこで“ポエム”をせっせと投稿してる人たちを感動させられる“詩”を書けるのかどうか。あそこに投稿して喝采のレスをもらえるようなものを作ってるのかどうか。俺も含めて自問自答すべきだと思うのね。自分たちが感銘を受けた詩や詩人のように、少なくとも詩にはこういった他の世界、他の次元があると、きちんと提示できるものを作るべきだと個人的には思ってる。そういう次元へ引き込めるだけの力を持った作品を書いていく必要があるんじゃないの? で、提示して理解されないのは、それは読み手の責任じゃなく書き手の責任だよ。「なんでこの詩の良さがわかんないの?」なんて言っててもしょうがないよ(笑)。
 でさ、そういうことをやっていかないと、結局閉じちゃうのね。ネット上での詩の世界が閉じちゃう。ま、ムリヤリ提示する必要もないし、現状で満足してるその気のない人は放っておけばいいんだけど、くだんないからって批判して排除してるだけじゃそこで終わっちゃうよ。マジで。みんなそういう出会いを繰り返して、影響を受けて上達していったんじゃないの? 少なくとも批判や非難を受けて上手くなった覚えは俺にはないよ。

 最後に。
 えー、「POEM CLUB」を引き合いに出しましたが、まったく他意はないです。「POEM CLUB」で素晴らしい詩を書いてる人たちもたくさん知ってます。知らないって人は、今度きちんと、あそこの作品群を読んでみるといい。詩のサイト巡りをするよりは遥かに高い確率で、素晴らしい才能と出会えます。


散文(批評随筆小説等) 詩歴について。 Copyright いとう 2010-04-20 03:04:58縦
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