基本的な食い違いについて
山田せばすちゃん

御陵原萌美(めんどくせえ、一発変換できないハンドルネームって好きじゃないんだよなあ、どうせころっころころっころ変更するのわかってるから単語登録しても無駄なのわかってるし)氏の公開書簡http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=207798に対してのお答えです
まず冒頭ですが、御陵原萌美氏(いいこと考えちゃった、コピペにしちゃえ)の主張には前回のAtoZ氏への公開書簡、もしくはその前後の書き込みも含めて拭い去りがたい差別意識があふれています。民俗学あるいは文化人類学に事寄せてホームレスを下に見てはいけないのではないかという主張ですが残念ながらホームレスは「共同体の外の存在」ではありません。私たちと同じ現代社会にともに暮らす一員であり、カースト等の固定化された身分では決してありません。ホームレスを同じ共同体の一員とみなせない氏(コピペもめんどくさいから以下省略)の意識には疑問を感じます。
したがって、過去の身分制度化における流民との類推からホームレスも「自由である」とか「気楽である」などと断定してしまう氏のずさんな推定にも同意いたしかねるところです。そもそも過去の身分制度とは階層身分の固定による社会統治の形態でありますから、固定化された階層内では当然それなりの秩序も安楽も生じます。しかしながらそれはあくまでも階層内における秩序であり安楽であって、たとえば他の階層への移行はもちろんできませんし、移行につながりかねない行為としての交流、結婚等も厳しく制限されます.
もちろんその階層自体の生活レベルが極端に劣化する等、他の階層との間の利害関係が限界を超えれば、そこには反乱が起きます。そのどこが自由であり、気楽なのか、おそらく氏の想像力の埒外なのでしょう。氏が「つまりこの諺は、そうした自由人としての乞食への憧憬として生まれた言葉でもある」と書くとき、そのくだらない憧憬こそは「乞食と勤め人は完全に階層が固定されていて、そのもとで乞食の階層と勤め人の階層を自由に行き来できる」という童話「王子と乞食」のような空想に支えられていることになぜ気がつかないのでしょうか。

次に拙作を引用されて私の主張を分析なされている部分ですが、私は「価値観」など言う言葉はどこにも使っておりません。私は「社会=経済構造」そのものの直接的な変革を希求する者ではありますが「価値観」の変革を以って事足れりなどとは決して思っておりません。マルクスの言葉を借りれば、「上部構造たる価値観」の変革は「下部構造たる社会=経済体制」が変革されればおのずと変革されることでしょう。
いかに言葉を尽くし価値観を相対化しようとも、真冬に公園でダンボールの家に住めば寒いのだし、食えなければ飢えるのです。ネット喫茶で夜明かしでは質の悪い睡眠しかとれないし、携帯の料金が払えなくなれば収入の途さえ途絶えるのです。寒くてもひもじくても価値観の持ちようだ、「分」を守れ、幸せを感じろという氏の悪質な主張のどこに、私と通ずるものがあるのでしょうか。

氏は「分」を守るの「分」は自分の「分」だと書かれておりました。とんでもないことです、氏が守らせたい「分」は「身分」の「分」であり、ホームレスを下流階層として固定化する策動の表れでしかありません。だからこそ、私は氏に「お前らそのまま死んで行け。二度と俺たちと同じ身分になれると思うな。」というに等しいその悪辣な言葉をホームレスとなった人々の前でも声高に主張することができるのか、という問いかけとしてトラメガ云々を持ち出したのです。


散文(批評随筆小説等) 基本的な食い違いについて Copyright 山田せばすちゃん 2010-04-10 17:41:32
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