それで、いいのだ
salco
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私はぼんやりした人である
だから空へ登って行きたいと願う 手段は問わない ↑
だからそんな詩には覚えず息を呑んで涙ぐむ 震える
孤独もいいが、カムパネルラにも会いたい頭の中で。
私は何も考えない人である
だから銀色の電車に乗って懐かしむ 半べそかいて
消えてしまった建物を、遠い時代を懐かしむ
天井桟敷でJ.A.シーザー氏にナンパされたかった(無理か)。 ↑
ねばならぬ、と一元化するのは
それが如何に正義と定義されようとファッショだ
創造の羽根をもぐ必要はない、いずれ淘汰を受けるのだ
愚かだが、人間はそこまで愚かではないから。
私は真面目な人が好きである
文学のジャーナリズムとヒューマニズムについて真剣に考え
問題提起する行為を尊崇する 何と言い繕おうと
言葉ではなく、人心に差別、残虐は厳然と存在する。
議論が百出するのは良い事である
思想の自由、言論の自由、表現の自由 ↑
新しいものはそこからしか生まれない。
色んな人がいていいのだ、色んな人がいるのだから
頭いい人悪い人、真面目な人ふざけた人イタイ人
優しい人傷つきやすい人、無神経な人激しやすい人
だから面白い、だから楽しい。
どちらがいいとか悪いとかは立場と見方でコロコロ変わる
国民が負う大義さえ勝ち負け、時間の経過でコロッと変わる
何を信じればいいかと言えば、おのれの信ずるものに準じるしかない。 ↑
大きな流れに踊らされるよりは、まだしも我流で好きに下手に踊るのがいい
だから色んな踊りがあっていい、色んな衣装があっていい。
私はバカボンのパパが大好きである バカボンだから
バカボンのママもハジメちゃんもレレレのおじさんももーれつア太郎も、
ココロの親分もチビ太も目玉のホンカンも、ベシもケムンパスも、
イヤミもウナギイヌも、デカパン、ハタ坊、ダ・ヨーンも、
おそ松カラ松チョロ松も一松十四松トド松も
ニャロメもデコッパチもアッコちゃんも大好きである。
さあ、皆さんご一緒に → → → ↑
原典 赤塚不二夫御大
御参与、御教示 小野一縷様、孤蓬様、花形新次様、……とある蛙様、山崎尊様