世の中なんてハッピーエンド
プル式

今日は日差しが春なのに寒い。それでも、桜は昨日よりも開いているし、街もいくらか華やいで見える。気温に関係のない所で、春が幅を利かせて居るのだろうか。


「虫になってしまった」


甘い匂いに頭がしびれる
思考がとまり吸い込まれる
瞬間の事が全てに変わり世界を再構築していく
脳髄が溢れ出すのを止める事が出来ない
それ以外の何もないただ透明な世界
それ以外は何も必要ない透明な世界

幸福に満たされた狂気の様に柔くあたたかな光の中で
鮮烈なしかし実に爽やかに甘い匂いの満ちる中で
少しも抗う事をしなかった私は
いつしか虫になってしまった


※ ※ ※

この作品を書いた時に、つい出来心で、というか思いつきで、匂いに取り付かれる虫と、匂いを嗅ぐという機能の(ほぼその機能しかない)鼻、というものを置き換える遊びをやってみたくなった。それは多分、他のどんな事にも結びつくのではないだろうか。

※ ※ ※

「鼻になってしまった」


わたしは鼻になってしまった

甘い匂いに頭がしびれる
いや鼻だから鼻がしびれるのだが
思考がとまり吸い込まれる
いや寧ろ私が全身で吸い込んでいるのか
瞬間の事が全てに変わり世界を再構築していく
脳髄が溢れ出すのを止める事が出来ない
脳髄と言っても勿論ながら鼻だから鼻水でしか無いのか

それ以外の何もないただ透明な世界
それ以外の何ものでもないただ透明な鼻水
それ以外は何も必要ない透明な世界
それ以外は何も必要ない真っ白な鼻紙

幸福に満たされた狂気の様に柔くあたたかな光の中で
鮮烈なしかし実に爽やかに甘い匂いの満ちる中で
鼻をかむ事しかしなかった私は
いつしか鼻になってしまったのだ。

※ ※ ※

自分の書いた作品で多分、と言うのもなんだが、多分、鼻は花粉症だな、と思う

「幸せ」と言うのは実に様々あって、最近、大体の人はハッピーエンドを迎えられるもんなんじゃないだろうか、と甘ちゃんな考えに取り付かれて居る。取り方次第なんじゃないか、という意味で。不幸だ、と言っている人は不幸の中にある『慣れ』というものに取り付かれて抜けられないのでは無いだろうか。金がない、仕事がない、という状況でも、少なからず、この国では救いがある。そりゃ確かに、救いのないものというのも勿論あるが。自身の経験からのみ言うなら、まあ大体あると思う。
それは僕が『若い』からだろうと確かに思う。僕が年を重ねて、例えば60過ぎで仕事が無くなった場合、それってどうよ、とかも思う。でも、そこにある逃げ道もしっている。
『虫になった私』は果たして幸せなのだろうか。『鼻になってしまった私』は果たして不幸なのだろうか。作者自身では決してそうは思えない節があるのだが、読み方によってどうとでもなるだろうとも思っている。しかし、『鼻』や『虫』になってしまったら、僕はどうすればいいのだろうか。


散文(批評随筆小説等) 世の中なんてハッピーエンド Copyright プル式 2010-03-29 13:11:56
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