声の事
プル式
誰にも聞こえない小さな声がする
誰にも見えない僕の隣にいるはずの声
どんなに騒がしい場所でも僕にだけ聞こえる声
どんなに静かな場所でも僕にだけ見える声
声は僕の中の小さな不安に話し掛ける
小さな不実に、小さな希望に
小さな色々な事に話し掛ける
僕は泣き、笑い、話し、それからおびえる
声は薄らと姿を現す
窓や携帯や時には目の前に薄らと姿を現す
そんな時声はただ黙っている
ただ黙って能面の様に何かを問いかける
時には僕から話し掛けるけれど声は応えない
姿を現す事も無ければ声を出す事さえしない
それでもそこに居るのだと僅かながらに分かる
それだけで安心だった
いつからだろう声が遠くなった
僕は泣く事が少なくなり代わりに笑う様になった
ただ平穏な時間が粛々と過ぎて行く中で
声の事を考えない日が多くなった
ある日電車での帰り道で目の前にいた男が咳をした
一つ、二つ、三つとそれが耐えられなくなった
四つ、五つ、六つと息を押さえ両の手を握りしめた
顔を反らすと窓の中で真っ赤な顔がねめつけていた
呆然としたままラッシュに押し出された僕は
駅のトイレで手と顔を洗った
何度も何度もくり返し洗って顔を上げると
鏡の中で青白い男が静かに笑っていた。