夏のおわり
イシダユーリ

夜、真っ暗な中、なにもないような山間の道をえんえんと走った。連れと、ここを二人で走ったら、どんな二人でも、恋に落ちるかもね、と話した。人生について語らなきゃいけない気がするからね、と言った。そして、いま、この時間にも、様々な都市で、音楽や芝居、ダンス、映画、そういうものが何億と行われているかと思うと、とても不思議な気持ちになった。ただ、生活していればいいのに、どうして、表現やら芸術やら、そういうものを語ったり、やったり、するのだろうな。この、飢えみたいなものはなんだろうね。わたしは、ずっと、ただ振動、ただ運動、ただ震え、ただ痙攣、ただ、ただ、そういうものになりたかった。そういうものになれるときやものや空間があると信じさせてくれるものが好きだった。それはいまもだけれど、それっていったいなんなんだろう、ほんとうにそんなものがほしいのかな、いつも、うまくいかなかった試みで、いま、ただただ暗い道を行って、これは人間が作ったものだ。いったいなんなんだろう。と。言った。いつも、失敗する試みを。いつも、仮想する試みを、求める、のは、どうして、なんだろう。卑しいと思いながら、それが純粋なものだと思っていて、けれど、それはいのちのやることじゃないとも、思っているのだから、いつもだめだ。

日本人が信仰するのは「ち」だと思う。
それは、血と地だけれど、それを強烈に身に受けるわけじゃない。空気に血と地を位置づけて、それを信じる。嫌がりながら信じる。そうしたら、具体的に位置づくものは神や仏ではなく、祖先だろう。とにかく祖先を信じることはできる。そしてそれが嫌でも間違いでも、いや間違いだから嫌だから信じる。空気の中にはいつでももう死んだ誰かの祖先が漂っている、それは絶対に誰かの祖先なのだから、感じつづけなければならない。いやおうなく分断し繋げ分断し繋げる。感じつづけているから不安で怖いけれど、感じつづけないのならなにもないのと同じだから。わたしの抗いはいつも、そこからなんとか切り離されたいと願うこと。ほんとうにひとりで生きること。わたしの自責は、その空気を吸って吸い続けて感じつづけているのに、それに満たされようとしないこと。ただのプールだと思おうとすること。
ちゃんと連なりたい、けれど、逃げ出したい、ずっとこれだ。
それは曖昧な匂いでしみわたるものなのだから、身体は壊れない。
けれど、よくわからないじゃないか、どうして壊れないのか。血で地のはずなのに、どうして裂けないのか。もうはっきりとは形を成していないからいつまでもある。
都市では、振動が宇宙とつながろうとする。
祖先ではないルーツを口に出して、音にして、物語にして、空気をすっとばして、真空を信じて、つながろうとする。
毎夜、毎夜、行われる。試み。
わたしは、ただ運動になりたくて、なんにもないのなら、ほんとうになんにもなく、そこにあればいいと、思っていたけれど、そんなのは比喩じゃんか、くだらない、それはもういいじゃんか、十分やってみたじゃないか、試みてみたじゃないか、結局どうにもならなかったじゃないか、と声に出して言ってみたところで、なにも変化がない。あるのは飢えのような空白、飽和した肌色。
結局、わたしはかみなりにうたれない。
いつも、気づいたふり、わかったふり、転換したふり、決意したふり、気がすんだふり、なにもないふり、なにかあるふり、ぜんぶポーズ。
本当はいつもおなかがすいている
足りてない なにもかもが
一番 足りてないのは
打ちのめされることだ
打ちのめされないのは
どうしてだろう
なんだろうね
逃げてんのかな
ああ
ちがうな
やっぱり強度の問題だ
強度が足りないんだ
だから
いつも思っている
強い力が
わたしを
もう許して 助けて 逃がして 死にたくないって
言うことしかできなくなるようにしてくれればいい
次の日には 泣くだけに
そして その次の日は 手足を ばたつかせるだけに
そして その次の日は まばたきだけ
その次の日は すっかり 止まる
そして そうなる前に わたしが どういう手をつかっても
逃げ出そうとするのならば 
もしくは 完全に 誰もに 忘れ去られて 捨てられて 
その時に 全部つかって 誰かを 繋ぎとめようとするならば
わたしは まだ わたしを 信じていられるのかもしれないのにと思う
ただ運動 ただ振動 ただ震え ただ痙攣 ただ瞬き
そんなものに わたしがなれるはずがない
ただ そうなりたいと あがくだけで
もし それを 誰かが みせてくれるなら
なんだって なげうろう
どんなところにだって いこう と 思う
けれど そんなんじゃねえだろ もう とも 思う
もう すっかり わたしは わたしを 信じていないし
わたしのもとにある からだが ほんとうに哀れで ごめんなさい わたしなんかの からだで もっと ちがう人の からだだったら よかったのに と 思う だから からだだけは なんとか 生かしてあげなくちゃって さいごまで なんとか 嫌な気持ちなんか 計算しておさえて なんとか ちゃんと
だから 
わたしは
卒業して
仕事があるところへ
どこへなりとも行って
仕事をすればいい
わたしのことを
知っている人
付き合いがある人
知らない人
これから
会う人
どんなひとも
みんな
みんなは
それぞれ
好きにやるのだろうし
わたしは
目の前に
ひろがる
一方向の時間の上に
ただいるだけでいい
時間は過ぎるのだから
ただそれだけなんだから



感情を
もっとも
揺り動かすのは
生理と
天気
生理は
いつか
なくなって
天気は
ただ
記録されていく


散文(批評随筆小説等) 夏のおわり Copyright イシダユーリ 2010-03-07 17:50:04
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