堕落論
……とある蛙


使い切れないほどの金はどこへ消えたのか
使い切れないほどの人間はどこに消えたのか
抱えきれないほどの食べ物はどこに消えたのか
ウンザリするくらいの笑顔はどこに消えたのか


この国には何もかもがある第四次延長に
突入したのではなかったのか

汚くも生き残った偉い人たち

渋谷の中途半端なビル群の隣
低層階に君らのオフィスがある。
こじゃれたオフィスで
IT ITと嘘八百
ITどころか携帯のウソ売り
そのうち光のように
消え去った。

次のITは
株価操作で詐欺三昧
自家用ジェットで女漁り
自殺他殺は知らないが
屍の中生き残り
堕落どころの騒ぎでないが


結局自分はというと
堕落することが人生のすべてだ
と思っていたふしがあり。

だが
何にも見もせず 
「人生とは なんだ かんだ」
と偉そうに語る(ぬかす)奴の浅はかさに。
ちょっと憤って見せてはいるのです。

「おまえらが勝手に降らせた雨なのに」
雨が降っても泥濘(ぬかるみ)を考えず、
それで偉そうに晴れの時のことだけで講釈をたれる。
雨の時だけに生きている奴を見向きもしない。

晴れしか知らない者が 
「人生とは何かな?」
などと語ろうとしている。
悪い冗談

テレビで見た雨天だけ見て、
事実を見たような気でいる。
雨が降れば足下(あしもと)は悪くなる。
そんなことすらあいつらには分からない。

自分で幸せだと思っている以上の欲望の達成感。

そのおあまりを人に分け与えることは
さらなる欲望の達成でしかない。

(堕落とは自分のことだ。)
結局そう思った。
(堕落とは自分のことだ。)

一生をかけて悲惨を経験することが
堕落した者である。と思い

とすれば
ありとあらゆる人の悲惨を
一緒に悩んで経験している今。
これを堕落した者と言わずして何が堕落か

宗教者はすべて堕落している。
堕落していないと思うことすら堕落の始まりだ。
解決など無いし、

堕落したまま一緒に生きるのだ。
その勇気のない者は
人を非難してはならない。

結局何も消滅していない
ほれそこにそのままある。

詩の狂気の復活だ


自由詩 堕落論 Copyright ……とある蛙 2010-02-27 22:58:55縦
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