【批評祭参加作品】学校だと思う。
相田 九龍
詩は勉強するものだろうか、という問いにイエスと答える自信はない。詩は教えられるものだろうかという問いにも同じく明確に答えられない。
短歌などの世界では結社というものが存在するそうだ。自由詩にそれは必要だろうか。それは、必ずしも必要ではないだろう。
詩のサイトは学校だと思う。教える者と教えられる者が存在する学校だと思う。基本的にはみんなでニコニコしながら、たまに厳しい目を向け合いながら、切磋琢磨するべきだと思う。詩のサイトは学校だと思う。
では冒頭の部分と矛盾するではないか、と思った人も多いかもしれない。誰が教師で誰が生徒なのか、と疑問に思う人もいると思う。すべての人が学校だと思わなくてもいいと思う。ただ単純に、少しずつ成長していく詩人に、少しずつ良い影響を与える人がいれば、それは良い環境だと思う。多くのサイトがそういう環境になればいいと思うので、そう思う。
批評家が先生ってわけじゃない。批評家はひとりの生徒です。詩人がじゃあ先生なのかって言うと、でもそうでもない。詩人のひとりひとりも生徒です。謙虚に学ぶ姿勢で詩を読んで発表して欲しいと思う。これが勉強になるよって批評家はみんなに教えてあげればいいと思う。みんなが生徒で、そのときどきで誰かが先生だと思う。持ちつ持たれつだと思う。
言ってみれば、文学極道は大学になって、現代詩フォーラムは中高一貫になって、小学校もたくさんあって、居心地の良い場所を自由に行き来できて、そうなればいいと思う。
どこぞの校長は体悪くしてる癖に喧嘩好きだったり、どこぞの校長は説明下手で愛想悪かったり、どこぞの校長は酒ばっかり飲んでたり・・・まぁ、そこはご愛敬ってことで。
何考えてるか分からないヤツが学園祭を開いて、少し寂しかったところがパレードみたいに賑やかになって、まぁ苦情なんかも出て、それでも楽しかったなあ、と思ってもらえれば、それで十分。
僕にはたくさんの先生がいて、たくさんのクラスメイトがいて、それぞれ癖があってみんなと仲良くはなかなか出来ないけれど、卒業する気はさらさらなくて、「お前が俺の批評祭だ!」って気になる女の子に言ってみたら、笑われて、このへんで、お開き。
いっつも疲れるんだけど、やり切るって、結構いいもんだよ。
来年も、よろしくお願いします。
あ、なんか、期間に間に合わない参加作品があるらしいけど、そこもご愛敬ってことで。
ポイントの集計は、19日の夜に行われます。出来ればそれまでに、ひとつでも多くの作品に目を通していただければ、とても、嬉しく思います。
ではでは、ありがとうございました。
すべての詩人に、拍手。
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第4回批評祭参加作品