【批評祭り参加作品】現代詩手帳散見
リーフレイン

 2009年9月号の現代詩手帳の裏表紙は、第一回「鮎川信男賞」募集のお知らせでした。
その募集文の中に

「歌う詩」から「考える詩」「感じる詩」へと展開してきた現代詩の今日から明日を予見する「詩」と「詩論」

という言葉があり、なるほどなあと思ったものです。進化ではなく展開であるところがまことに頷ける話です。歌う詩が古いものというわけではなく、詩作の重心のバリエーションが少し広がっているということではないかと感じるのです。(もしかしたら「流行り」ということかもしれないですが。)今は、様々な音律が流れる時代であるのだろうなあと思いをはせたりします。


「新人欄の半世紀」という特集でしたのは現代詩手帳の2009年の11月号です。
ずいぶんとお得感のある号で、50年の年月を一気に駆け抜けていくような爽快さを感じました。 で、2003年のピックアップは 伊藤伸太郎さんの「銭湯」という詩で、非常に素直に日常のなかから自殺を思い留まる姿が浮き彫りにされていました。実際のところ、この作品は新人欄特集の中でも異色な存在で、イメージのカオスをまったく含まない、素直で逸脱のない描写です。心が惹かれました。こうした詩を好む自分の嗜好をかえりみるにつれ、(象徴性の強い作品よりも、物語がある、平易な詩が好きだったりするわけですよ。奇妙なメロディーがあればさらにツボだったりします。)「読み手は様々なのだから。こういう詩がもっとあってもいいのになあ。」と詩手帳の時代性に逆行しそうなことを考えたりしました。


 話はもどって音律といえば、2010年の新年号。
四元さんの「マダガスカル紀行」が載っていたのですが、四元さんの音がちょっと好みです。四元さんは散文(詩ではなく)でも結構リズミカルに描かれます。
マダガスカルの場合はあっさりと書かれている短文の中に、忙しい3の音節の連なりを作っておいて、少し長めの音節で破調するっていうパターンが隠されているような感じがします。
音ってなあ、どうも繰り返すことでリズムが生まれるみたいで、たとえば
ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん ぐん

という2拍子の連続はこれだけで強いリズムを生みます。(3でも4でも連続によってリズムが生まれますね) この連続だけだといつにか単調に陥ってしまうところですが、割と早めに破調させることで調和しすぎないバランスを取っているような感じです。3,3,5、とか3,3,6とか3,3,9とか。スピードあります。

そこまで考えると、そもそも5,7の調というのはリズムバランスを複合的にとってる形式だったりするのかなと思ったりもします。7の音節はたいがい3や4の短音節で構成されているんですが、全体での調和の中で短音節をうまく埋め込んでまとめあげてしまいます。
 現代詩でもよく読むと7、5の音節が利用されている場合は多いです。あれも好きなんですが、崩した音律がある詩はどことなくスイングするジャズを聴いているようです。


あぁ


しばらくまじめな詩手帳の中にこもっていると、なにやら人間がまじめになりすぎるような気がしてきました。 あんまりまじめだと血尿が出ちゃいます。



散文(批評随筆小説等) 【批評祭り参加作品】現代詩手帳散見 Copyright リーフレイン 2010-01-11 06:40:14
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