現代詩フォーラムに参加しての感想
……とある蛙

ここに参加してから6カ月以上たちました。

当初「ゲイジツって……」という散文でいろいろ現代詩は気味悪いと書き、芸術を標榜するサイトもゲロがクソを批評しているようだと書いたら、OHさんあたりからもっと現代詩を勉強しろとのご指摘がありましたので勉強させていただきました。まぁ道楽なので、それなりの勉強ですが、そこそこには勉強させていただきました。

かなり驚いたのですが、小学生時代習った詩の考え方が誤りであることを教えられました。つまり、詩人は言葉をものつまり対象として捉えることの出来る人、小説家は言葉を徴表として捉えることの出来る人と区分けされるようです(サルトルかな)。その区分け自体無意味という人もいますが。そのように考えると、「思ったこと感じたことをありのままに書くのが詩だ」という常識は間違っているということになります。また、批評の仕方として「この行が何をあらわしているか分からない」とか「作者の言わんとするところは」などという批評は小説に対しては出来ても、詩ではあまり意味をなさないことになります。
 詩を書くという行為は素材としての言葉によって何かしらの芸術作品を作り出すものです。丁度、音楽が音を素材にし、彫刻が石や木などを素材として何か作品を作るのと似ています。1音の意味だけではなく音の関係性が音楽ですし、彫刻は掘り出されたイメージが作品の本質をなすものです。困ったことに言葉にはそれ自体伝達手段として意味があるため、誤解を生んでしまい、散文なのか詩作品なのか不明なものがたくさん出来てしまいます。自分自身混乱していますが。

 ここまでは一般論として感じたことです。

 次にえーっと自分の詩であります。少し読者的なことを書くと一番厳しい意見はおまえの詩は下手だとか砂遊びとか書かれます。なにが そうなのかは具体的にはわかりません。確かに下手です。努力はしていますが如何せん才能の限界(笑)かもしれません。
 しかし、私の場合、道楽なのでそのようにいわれても反論する気もおきません。特に論評に具体性がないのでどうしようもありません。
 おそらく芸術的ではないというのだと思いますが、自分のスタンスとして自分でつまらないと思う詩は書かず、自分で読みたいものを書くというスタンスで書いています。つまり、自分が読みたい詩を書いているつもりです。
 何が良い詩なのか全く分からなくなってしまっています。
 というか やはり読む気のしない詩は参考にしたくありません。
 その人が詩集を出そうが 何かの佳作になろうが 参考にはなりません。


100くらい投稿していると自分の詩がいくつかのグループに分けられてきます。
いくつかのグループ
?子供の時のこと 思い出 代々木八幡、底の町
  ほぼまんま。
?現在の生活 夫婦問題など 情歌
 老の問題いも含めて 車椅子
 発話者と作者がう〜んと言う感じ、誤解を受けるかも知れませんが、
?トピカルソング的なもの 笑う不動産屋、詐欺師
?言葉遊び 生活の孔など
?客観的な風景 袋田の滝、
?全く実験的なもの
 赤い月、壁など オブジェとしての詩
言葉でイメージが彫れるか、つまり抽象的ではなく極めて具象的にあり得ない世界 みたいなものを言葉で構築できるかという遊び。本当にこれを遊びとしてやっています。それを読む人がいればこれ以上幸せなことはありません。

 勝負は結局、書きたいことの切り口というか、構成の仕方だとは思いますが。 

 ポイントについては 私の詩に入れてくださる方が特定の人が多いことに間違いありません。特に恥ずべきことでもないし、単純に嬉しいです。新しい人もいくらか入れてくれますので満足です。
 いつもと違う雰囲気の詩はポイントが入りませんが、あまり気にしていません。どんどん試してみるつもりです。
 ポイントがどうたらこうたら言っている人もいますがあまり気にする必要もないと思いますが。別に客観的基準がないのが現代詩フォーラムの現状なのですから、自分の気に入らない詩に高ポイントが集まるってもやむを得ないとは考えられないのでしょうか。それにレベルがどうの意味不明なことを言う人がいるのは全くのお門違いです。
 わたし自身あまりポイントの入らないことは結構ありますが、気になりません。別にポイントとるために詩を書いているわけではないからです。

 逆に私はできるだけポイントを入れようとしますが、結局獲得ポイントと同数にはなりません。少しでも読んで愉しいところ、考えるところ、感動できるところがあれば必ず与えるつもりです。ポイントをもらって作者が気分よくますますよい詩を書くようになれば それに越したことはないと考えているからです。

 自分の詩に欠けているところは自分で納得していなければ直らないと思います。たまに批評をされたくて外に出すこともありますが、構成についての細かな検討、あるいはイメージについての考察など不十分で、そもそも用語の定義がないので批評自身何言っているのか全く分からないのが現状です。 貧しいだの、あの言葉はすばらしいだの、人によって違うことを述べています。
 用語を違う意味で使うのであれば仮定的に定義付けをしてから論評するのが当たり前ですが、それが出来ていない方も多いと思います。
 あるサイトで思ったままかいたら怒っている人がいました。そうであれば自分自身の批評の仕方が違うだろうな。っと思っています。
 感想なのですからなるべくよい事を書くべきなのに書かなかった自分も大人げないと思い反省しました。
 結局です 何が欠けているか自分で勉強した方が早いと思います。共通理解がなければなにを語っても気分だけのものです。0.8×0.8は0.64でますます小さくなってしまいます。

 言葉はコミュニケーションツールであるという宿命をもっています。たとえ前衛的な詩を書いても言葉の「意味」という呪縛は免れません。無意味な言葉の羅列でも詩にはなります(80年代の山本陽子さんなど うわぁマイナー)が、スキャット類のもので、リズム感がかなり必要です。それを究極の詩だとする評論家もいますが????です。

 出来ればほどほどの喩法で小説世界とは異なる世界を現出するのが、これからの詩人に託された課題ではないでしょうか。

追加 七五調も含めた現代詩における定型論争にも少し興味がわいています。

※  以上を基礎に改めて投稿しようと思っています(笑)。


散文(批評随筆小説等) 現代詩フォーラムに参加しての感想 Copyright ……とある蛙 2010-01-06 11:32:05
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