妄想三角比
都志雄

 数学が嫌いだった。
 今ではちょっぴり後悔している。

 もともと興味を持ったらまっしぐら、それこそ寝食を忘れ、日常生活に差し支えるほどのめり込むくせに、逆に食指が動かない物事は、もはやそこまで、我が視界から瞬時に消え去ってしまう。したがって、高校生にもなると、好きだった英語や歴史などは、中学では知りえなかったより高度な知識にアクセス可能となりますます熱中する一方、数学などの自然科学系は「できれば赤点は取りたくないから」と試験直前に教科書をパラパラと眺める程度で、実際には赤点→追試の常習犯だった。だから、高2に上がる頃には、「大学受験は英国社の《私立文系型》」と決め込んでしまっていた。それでも高一の時分はまだ、「単純であってくれ」という虚しい願いとともに、理数系の授業も比較的真面目に取り組んではいたのだが。

 たしか高一の一学期の終わりごろだったかと思う。数学で新たに《三角比》の単元に入った時のことだ。期末試験が近付いていたこともあり、私は珍しく授業に集中しようとしていた。やがて近隣の大学院の博士課程だとかいう非常勤講師がやって来て、粛々と「講義」を始める。サイン、コサイン、タンジェント。当然私はついてゆけない。一体なんの因果でこのような情報操作をやらされなければならないのか、という疑念がどうしても先に立ってしまう。そしてふと、数学の取っつきにくさの一因は、?θ、π、Σ″といった、私には無機質極まりなく見えるこれらの文字にもあるのではないかとの思いに至った。そこでこれらの文字を、「☆」、「♪」といったより親しみのある記号に置き換えてみる:

Sin. ☆
Cos.♪
Tan.卍

幾分キュートな気分が出てきはした。しかし混乱するばかりで、理解の足しにはなりはしない。ええい、毒を食らわば何とやら、いやいや、好きこそものの上手なれ、と今度は歴史上の「英雄」たちを三角比に援用してみる:

Sin.卑弥呼
Cos.竜馬
Tan.信長

この戦術はある種、「効果覿面」、だった。私は脳裏の電光掲示板に突如閃いたこれらの文字列にすっかり悦に入ってしまった。と同時に、芋づる式に、歴史上の他の「偉人」達 ―後醍醐天皇や、太閤秀吉、勝海舟、果ては諸葛孔明やら、ナポレオン・ボナパルト― までもが金色のおもちゃ箱から弾け出し、豪華絢爛、一大歴史絵巻の幕開けを告げる法螺貝が鳴り響く。三角比はどこへやら。私は、授業終了を告げるチャイムで現実に引き戻されるまで、この夢の共演に恍惚の境をたゆたうことにあいなるのであった。





散文(批評随筆小説等) 妄想三角比 Copyright 都志雄 2009-12-31 16:04:29
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