走馬灯
あみ
いつからか、記憶が上書きされにくくなった。
あれは去年の夏か、一昨年の夏か、動機は覚えている。楽しかったことも。出来事も。
初めての行為は、いつも、楽しい。初めての出会いも。初めての場所も。
旅は好きだ。
今年、2ヵ月半は軽く自宅にいなかった。
少しずつ時間をかけて、準備を始めていたのかもしれない。
あれは、去年なのか、一昨年なのか。
今年の、夏か。
一度近づきすぎた距離を、また以前のように、とは、
戻れないものなのか。
崩れてしまったと感じるのは間違ってはいないと思う。
6月、
出会いのひとつ。
ある女の子がこんなことを言った。
「こんなふうに出会ってしまうと、今までのものがなくなってしまう」
それは私たちのせいでもあるのだろうけど
きっと、それだけではないんだと。
今年、ずっと見れなかった東大寺の燈花会に行った。
奈良公園のあちこちに、ろうそくがひしめきあっていて、
私はその橙の天の川の始まりに立ち、友達の存在をすっかり忘れ、見入っていた。
このたくさんの迎え火に迎えられ、15日、送り火に送り届けられる。
ずっと待っていたような気がする。
迎えに来てくれることを。
あたたかな光で、視界をいっぱいにして。
記憶の上書きが出来ないでいる。
出来事は、順を辿らずに、まるで写真のように切り取られて溜まるだけだ。
わたしは、いつからか長い走馬灯の中にいる。