手を離せば
銀猫

冬が背中のうしろまで来ている
今夜の雨は仄かにぬるく
地上のものの体温をすべて奪う雨ではない
むしろ
ささくれ立った地表を磨き
朝が来る前に
つるりとした球体に変えようとしている
古びたトタン屋根を叩く硬い水玉
窓硝子を斜めに流れる雨粒は
細心な角度を作ってみせる 
音が少し止んだ
遅れて
銀杏の葉から滴が落下する
その下に
ウォータークラウンが弾け
誰の額も飾らずに消えてゆく
夜が淵にさしかかり
夢魔の悪戯が加速すると
灰色の朝がもうやって来ないことだったり
来るはずの無い便りが届いたり
目覚めに思わず肩を落とす悲しさが潜んでいる
夢はいつも残酷であるのかも知れない


わたしは時折
身体がぽかりと宙に浮いてしまう夢を見る
ごく見慣れた部屋の中で
自分ばかりが異質だと自覚しながら
手当たり次第に家具の取っ手や柱に摑まってみるのだが
それより浮力のほうが大きく
ガスの少ない風船のように
ぽわんと尻から浮かんでしまうのだ
足先はいつか頭の高さと逆転し
ほとんど逆立ちのように浮かんだまま
無力に手のひらは掴んだ取っ手にすがっている
手を離して空を掻き分けてみれば
すい、と滑空できるのかも知れない
だが
いつも決まってそれはせず
異質である自分を気づかれまいと
必死でもがいているのだ
憧れである空を飛ぶことより
日常からはみ出さぬことを望んでいるらしい
それは目覚めると不思議でもあり
手を離したときに何処まで上昇するのか
それを何故試さないのか悔いてみたりもする
普通であることの難しさ
約束を裏切らずに生きること
理屈にならない言葉が喉の奥でつっかえ
ただひとりの反逆者は生まれない
爪先が更に上へと引っ張られ
浮き上がろうとしている





自由詩 手を離せば Copyright 銀猫 2009-11-26 23:16:34縦
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