ジェンガング
影山影司

 胴体のまんなか、繰りぬかれた胸にはジェンガが積んである。人間とはそういう風に出来ている。例え服を着ていようと、裸体であろうと僕の視界では四角く切り取られた空間に、ゲーム途中のジェンガが屹立しているのだ。
 ジェンガはオーソドックスな白っぽい木製のブロックで、ちょうど寿司のシャリをつまむような感じでプレイできる。
 ジェンガのルールは簡単だ。3×3で組まれたブロックを抜き、タワーのてっぺんに継ぎ足していく。抜けなくなるまで、倒れるまで、ひたすら。ダイスもカードも、ランダムな要素は何一つ無い。あるのはプレイヤーの精神だ。

 僕の趣味は、他人の胸のジェンガを眺めることだ。
 胸のジェンガにはプレイヤーの哲学が現れる。

 胸にあるジェンガのブロックを引き抜き積み上げるのは自分一人だ。ろくすっぽ抜かずに年老いる人もいれば、まだ若者だと言うのに土台がスカボロになってしまう人もいる。ルール上、中身がみっちりと詰まったタワーは存在しない。ジェンガの不完全性は人の生き様だと思う。不完全でも美しい人、醜い人、様々だ。そして、その美醜はは廃工場の美しさに通じる。
 禿げた塗装。積もる埃。穴の開いた階層。斜に構える塔。
 銃弾に全身を穴だらけに打ち抜かれた自分が夢想したものは同じようにブロックを引き抜かれたジェンガであった。口中に膨らむ鉄錆の風味。頬をつけた地面の砂利、砂埃。咳き込む度に胸のジェンガがガラガラと崩壊する。
 ジェンガのタワーが全て崩れて、ジェンガの山になる。
 僕の生命は確かにそこで終わった。


 死ぬ数日前は随分、感覚が鋭くなった。
 割れそうなコップの硝子の中にはB球の質感を持ったジェンガが見えた。水道水を注いで口をつけたのだが、ふとみると人の身体にあるのと同じようにジェンガタワーがあった。中腹の辺りで十字が重なったジェンガ、指でつつくとふるふると奮え、私はあわてて五指で壁を作って崩壊を防いだ。気がつくとコップは私の両手からはなれ落下する。僅かな水と硝子を撒き散らして、汚らしく床の塵芥と共に散らばる。
 僕はここに来てようやく、自分が「見」ているのではなくただ、狂ってしまったのではないかと考えるに至った。いままであいまいに見えていたものが、ハッキリと感じ取れたことでその存在に疑問を持つ。きっと私の目玉と脳味噌は、正しく情報のやり取りをしていないのだと。水晶体だの、視神経だの、どこかまでは正しく作動しているくせに、おそらく脳味噌だ。多分、脳味噌が、その情報を故意に狂わせてしまうのだ。
 今の今まで、自らのことを無意味に信頼していたことが、妙に恥ずかしいことのように思えた。疑問を持たない信頼は、ただの間抜けだと他人に吹聴してきたクセに、僕は僕自身のことを正しく信頼できていなかったのだ。
 コップの残骸は細かく割れ、スリッパ越しに踏むとまるで砂のような感触。水分を吸って解けた埃の黒ズミがいやに汚らしい。あぁ。


 ベンチに座る。風は冷たく、日はチリチリと肌を焼く。いい季節だ。僕はこの季節がとても好きだ。背筋を伸ばさず、ぐでっと尻をずらしてベンチの上で溶けたように広がると気持ちいい。そんなわけで、僕はこの季節の公園も好きだ。
 これが休日であれば尚、幸せなのだけれど、残念なことに僕は休みの日、外出をしないことに決めているので休日の公園を知らない。隣に赤茶けた服装の爺さんが座る。水色の空の雲の流れが分るくらい風が強い。吹き続けているわけではない。深い寝息のように、リズムを感じさせない、リズミカル。
 少し時期ハズレのニット帽、膝下まですっぽり覆うウール質のコート、爺さんの格好は年寄りらしいモノトーン。
 そして、胸には、ジェンガ。
 やけに高いジェンガ。整然と土台を構築し、不必要なパーツを抜き取りきった美しさがある。ただ、風が吹くたびにゆらゆら揺れるほど、薄くなっている。物理的なものではない。密度的な、薄さだ。


 僕は
 脳味噌がぐじゅぐじゅと呻いているのを感じる。僕の見えている世界に何も根拠は無い。他人に聞いても真実は確かめられない。僕は確かにそう感じている。僕の瞳が、光を受け取っていなかったとしても、僕の残りの全てが、この世界を感じ取っている。爺さんが「いい天気ですね」と前を見たまま言う。「風が気持ちいいです」僕は地面を見る。荒い地面だ。乾ききった黄土色、表面にまぶされた小石、砂。靴底を引き摺るとザガガ、と擦過音。「ニビイロ」
 スタートする。
 老人と「鉛色」僕が「三番目の人」交代で「ライフル」決められた言葉を「旋状」それぞれ「なまり」たんたんと「空へ」読み上げる。読み上げたことに意味は無い。ただの、確認だ。

 僕の
 脳味噌がぐじゅぐじゅと呻いている。限界だ。僕は、枯れ切った背中、肩甲骨の辺りに左手を沿え、右手をジェンガの枠に突っ込んだ。無いはずの空間に四角い空間を感じる。中央に、ジェンガ。手探りでタワーを崩す。がらがらと音がする。全てが、無根拠だ。それでも僕は感じているのだ。ジェンガが崩れる。いや、僕が崩している。ジェンガの崩壊が、世界の崩壊だ。


 公園からの帰り道、僕は家までまっすぐ帰らずに、知らないわき道に入っては太陽の方向を見ながらに帰る。その日は傾いてキラキラの白色を散らす太陽にすらジェンガが見えた。極太のタワーはいまだ崩れそうな兆候も無い。僕は安心した。車なんてちっとも通らないアスファルト道路のジェンガを踏みつける。
 今の僕なら、きっと秋の風にだって、何かが見えると思うんだ。よ


散文(批評随筆小説等) ジェンガング Copyright 影山影司 2009-10-13 03:17:04
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