九月十一日 ボストン 快晴(雑考)
虹村 凌

僕がオモチャの戦車で 戦争ごっこをしてた頃
遠く ベトナムの空で 涙も枯れていた

と歌う真島昌利が俺は好きだ
そしてこのフレーズが好きだ
なので俺はこう書き換えた

僕が分厚いベッドで 女の子とキスしてた頃
遠く イラクの空で 涙が流れていた




テレビをつければ
戦争反対ってデモ行進をしていた
そりゃあ 誰だって好きで戦争するんじゃないだろうな
でも 戦争って無くならないんだろうな
神サマの問題ってのが大きいんだろうし
そこに危険な武器があるって言ってたし
(友達の部屋に銃があるって聞いた警察は
 銃を構えながら3人で入って来たこともある)
先手必勝なのかな
勝てば官軍!!なんだろうか
何も無ければいいんだけれど
それじゃすまないよな

愛と憎しみの感情がある限り
戦争は終わらないんだろうな
近代兵器を全て放棄したって
ナイフやフォークで野蛮な戦争するんだろうな
(北朝鮮最強説を友人が唱えていた)
生活している中に どれだけの武器が溢れているんだろう
喧嘩で使えそうな武器が やっぱり沢山

きっとこんなこと
何千年も前から誰かが言ってきたんだろうな
それでも戦争って無くならないんだよなぁ
でもきっとこれからも無くならないよな
それぞれ信じているモノが違って
相手を否定しちゃうんだから
お互い憎しみあうんだよな
愛せたら きっと問題ねーんだろうな

愛ねぇ
死刑反対とかもヘンな話だよな
家族殺されても聖人面してる不感症野郎にしか思えないんだよな
俺だったら 殺してやりたいね
好きな奴が殺されたら きっと俺が殺しちゃう
そうしたら 俺がそいつを愛してた奴に殺されるのかな
誰か 俺の仇を討ってくれるのか
一生 憎しみと愛は終わらない
んな事誰でも気付いてる
それでバランスとって
そうならないようにしてるんだろうけど
きっとどっかでバランス崩れて
俺達はどこかで殺しあうんだろうなぁ

暴走族とかってそうなのかな
あれは愛じゃなくてメンツなのかな
やられた下のケツ持って
頭が出てって喧嘩するの
それで報復が続くんだよな

それが人種とか民族になったら
戦争になるのかな
だとしたら
日本人は戦闘民族じゃないなぁ
いい事かも知れない
戦闘民族なんて迷惑なだけだものねぇ
他所でやってくれって思う

九月十一日
何事も無く過ぎてゆく
誰も何も言わない
NYCではセレモニーがあったんだろう
その飛行機が出発したボストンでは
特に何も無いのはどうなんでしょう
静かに九月十一日は終わろうとする
ただの 土曜日

俺としては
いくらニダニダ言われようと
ハラスミダ言われようと
8月15日に参拝を続けて欲しいし
元旦にだって行っていいと思う
きっと隣国とはずっと和解できないでしょう
日本のアニメやゲームはいいけど
日本人は嫌いだって
てめぇら何言ってんだ?

っといけねぇ
熱くなっちまった
そうつまり
俺は戦争は無くならないって思うのよ
それどころか
気持ちの悪い反戦歌とか苛々するんだ
(きっとこの歌も苛々させているだろう)
愛と憎しみを捨てたら
戦争は無くなるかも知れないけど
それを無くしたら
俺は生きていたくないからさ
それでも 簡単に愛せなんて
俺には理解できないし

今日もどっかでバランス崩した野郎が
胸の爆弾焦がしながら
どっかの愛のど真ん中を突き抜けて
憎しみを生み出しているんだろうと思う


反反戦歌じゃないけれど
俺もお前も
もうちょっとよく考えたほうがよいかもな


未詩・独白 九月十一日 ボストン 快晴(雑考) Copyright 虹村 凌 2004-09-12 12:50:44
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「うにいくら丼」