あとがきにかえて
e.mei

「僕たちは遠くの遠くの空の向こうへ行かなくてはならないのだと生まれる前から約束されていたのだけれど、」


(蠍は現実のなかから降りてきていました。
 機械鳥は最後に僕か君かを選ばなければならなかったのでしょうか、
 双子のお星さまの後ろで永い時間をかけて僕は、……)


 記号の森のなかにある世界樹に結びつけられた時を打たない時計、
双子のお星さまが見えないと機械鳥は小さく鳴いていました。
僕が世界樹に手を伸ばしたら、
時間と云う幹から魚たちがたえず流れてゆきます。


 マーキュリー、
 僕には君の提案に反対する理由なんて何一つありませんでした。
僕が世界樹の涙のなかで泳いでいる魚たちの名前を
うまく発音出来ないでいるから、
マーキュリー、
君は、
遠くの遠くの空の向こうに飛んでゆこうとしている機械鳥を
無視していたのでしょうか。


 マーキュリー、
「コールサックのなかから永遠を見たい。」
それだけ書かれた短い手紙を君が寄越した翌日から、
記号の森には永い冬がやってきました。
言葉の雪が降る空の下で、
欠損した水仙はもう
必要のなくなった音楽に言い換えられていたのだと僕は知りました。



(君に伝えたいことがあります。)
(僕は名前のない少女を抱きしめてあげたかったのです。)
(今日も機械鳥の骨を見下ろして、
 生命に別れを告げている少女を。)
(忘れてしまうほど永い、
 永い時間が経っても機械鳥の骨が埋まったままだったと云う
 現実と共に。……)


 マーキュリー、
 世界樹に種を重ねればすぐに水仙となることを君は知っていましたね。
(ところで、
 君の聴いている音楽は相変わらず天上の音楽なのでしょうか。)
僕の前では意味のない音楽たちが踊っていますが、
水仙は時を打たない時計から離れられずに涙を流しています。
それは一瞬の出来事。
君の嫌っていた世界での、
本当に一瞬の出来事なのですが。


「瞬きをしないで。」


 世界樹から離れた冬の川で、
僕は少女と初めての写真を撮りました。
その日の世界は白かった。
少女を見失いそうになる僕を少女はどう思ったのでしょう。
たった一つの存在すらも留めておけない僕たちは、
生まれた日から何かを失い続けていました。
少女の髪に触れたあとに君からの手紙を開く。
知らない機械鳥は何も語らずに空を飛びました。
僕は君の言葉の意味ばかりを考えて、
僕と少女の名前は雪みたいに何も意味せずに降り続いていた。


 マーキュリー、
 時を打たない時計から流れてくる魚を機械鳥が食べていますよ。
機械鳥の美しい羽根が落とすものは名前だったのでしょうか。
夜明けに向かって流れる魚を食べた機械鳥は世界の沈んでいく様を見て、
また、
小さく鳴きました。


 マーキュリー、


「これが僕からの最後の手紙になるでしょう。」





(ふたつの瞳で少女を見ながら、
 君はおそらく共有出来ない時間について考えていた。
 少女は時を打たない時計の前で衰えた死を数えているうちに、
 等しさの意味について直面したのだけれど、
 蠍には必要のなかった永遠と云う言葉が、
 記号の森に還ったことにより少女の視界は白い雪に分解されてしまった。)


「あそこで青白い火がたくさん燃えているよ。
 火を数えていけば神様が降りてこられるの?」


 少女は僕に訊いたのだけれど、
僕は答える言葉を持っていませんでした。
 誰にもわからないから僕たちは記号の森から動けないのでしょうか。
 君の指から零れ落ちる星星は、
光の果てを知っていたはずなのに。
 だけどいつか時を打たない時計が世界樹からはなれる時には、
空一面の星が少女を待っているのでしょう、


(少女にだけ、真実を隠しながら――)


 少女は幾度となく記号を数えながら終わらない光の火を見ていました。
 月の光に染められた水に隠した機械鳥の骨からは何も洩れません。
 死んでゆくものたちは果てのない海へと歩いてゆくばかりでした。
 遠くに甦った君の姿も、
まぼろしに包まれた闇のなかに消えてゆく事を僕は知っています。
 海が永遠を見つけたあとに嘆いて悲しんでいた魂は、
少女の夢を見る僕の姿だったのでしょうか。
 月が隠れてしまえば夜明けの魚に群がってくる機械鳥。
 彼らは今日と云う日を忘れないよう羽根に刻んでいました。
 君はかつて生きると云うひとつの悲しみの終わりを歌にしたけれど、
君は結局、
僕にどんな運命が待っているというのかを教えてくれませんでした。……


(海はただ待っていた。
 永遠を、
 重なり合う日々を。
 少女が空を見上げれば白鳥のくちばし、
 アルビレオ。)


 白んだ空に連れられては
果てのない夢を視なければいけなかったと、
君は言いました。
 僕が何も知らないまま
永遠の海は神様の時間に達してしまい、
あとは、
ただ何処までも記号が広がるばかりで、
森の景色が変わろうとしているのだけは何となくわかりました。


 世界樹のまわりを飛ぶ機械鳥は夜ごとにいれかわり、
いれかわり、
僕と少女は最後に撮った写真の前で、
空白の最果てを誓い合った。
 記号のまわりではまるで天の川のようにたくさんの
たくさんの機械鳥が眠っていました。
 君が川に流した夜明けの魚はリチウムより美しく燃えていました。
 それは蠍の火よりも美しく燃えて、
少女は永いあいだそれを見ていました。
 息を洩らした火が生み出した霧は僕には眩しすぎるから、
僕たちは水面に永遠を描いて、
少女だけが、
消えていく火が霧に包まれてゆく様を見ることを許されていました。


(そして消滅と云う一つの悲しみから星星は
 子供のいない星座へと還ってゆく。)





「マーキュリー、」
 今日も南十字を落ちてゆく機械鳥を見れば、
過去と云う存在を忘れてしまいますね。
僕は君を視ていたのだけれど、
君はアルビレオの光を視たと言いました。
僕は蠍に見つからないよう、
双子のお星さまの後ろに隠れます。
(何かを失ったのとお星さまに訊かれたけれど、
 おそらく僕たちは、
 はじめから空っぽだったのではないでしょうか、)
頭上には僕たちを見下ろす機械鳥がいて、
マーキュリー、
君はもう世界樹よりずっと向こう、
遠くの遠くの空の向こうの見えない処、
コールサックまで行ってしまうと決めていたのなら、
せめて、
名前だけは誰かに預けていってほしかった。……


 マーキュリー、
 冬を待たずに動かなくなった機械鳥の名前、
僕は機械鳥の名前をうまく発音できません。
機械鳥が眠る土のなかから生命が歩き始めて、
僕は約束された時間に目を覚ましました。
『ある音楽家は、
 無意味を追いかけて意味を知った。』と
君は言いましたね。
君の手が星めぐりの歌を指揮していたのは、
君の視たアルビレオが原因だったのでしょうか。
埋められた機械鳥の目は燐光の川を、
見ていたようだったけれど、
君は重なり合う永遠を見つめていました。
(いつか時を打たなくなった時計が、
 再び時を打つ日が訪れるかもしなませんね、
 マーキュリー、
 僕たちには確かなことなんて何もなかったはずですから。)
君は何もかも一切が、
時を打たなくなるのを待っているのだと、
言っていたけれど、
僕たちは、
僕たちのこと以外、
いまだに何も答えられないではないですか。


 マーキュリー、
 僕たちは光を通過していって、
僕たちは遠くの遠くの空の向こうに行ってしまえば良かったのです。
(双子のお星さまに行き先を訊かれた僕は、
 何処までも、
 何処までもゆくのですと答えたのに。)
(マーキュリー、
 リチウムより美しい火に灼かれた君を見失ってから、
 一時間半。
 プリオシンコーストに反射して崩れてくる波に僕は、
 流されてしまいたいと思っています。)
(流されてしまいたいと思っています。)


自由詩 あとがきにかえて Copyright e.mei 2009-08-10 13:29:04縦
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