わたしが無職だったころ
吉田ぐんじょう

わたしが無職だったころ
茹で卵と塩むすびだけはんかちに包んで
毎日河原へ出かけていた
それしかやることがなかったのだ
アンケート用紙とかに
無職
と書くのが厭だったので
仕事を探してはいたものの
どういうわけかやりたい仕事は
ちっとも見つからないのだった
ハローワークは
くすんだ色の服を着た
うつむいた人たちでいっぱいで
その中だけ冬みたいにうすら寒かったから
あまり行こうとは思わなかった

春だった
河原には一面に菜の花が咲いていて
うらうらと粉っぽいにおいが流れていた
その中に座って
塩むすびと茹で卵を黙って三十回噛んで食べた
はんかちはきちんと畳んで鞄へ入れた
鞄なんてなぜ持っていたのだろう
あのころ大事なものなんて
ひとつもなかったのに

ポッケットに手を突っ込むと
指先に必ずライターが当たった
洗濯したての服を着ていても
どういうわけか入っていたから
ことによると
ライターというものは
輪ゴムや耳かきと同じように
勝手に増殖してゆく類のものなのかもしれない

あれからしばらく経って
新しい鞄を買った時
あの鞄は捨てたのだけど
ファスナーを開けてさかさまにすると
ハンカチと洗濯バサミ
それとグリコのおまけが中から出てきた
全部出しても
掌におさまるくらいの量だった
心のよりどころだったのかもしれない

グリコのおまけは
プラスティック製のちんけな電話で
永遠に鳴らないかたちをしていた



自由詩 わたしが無職だったころ Copyright 吉田ぐんじょう 2009-08-04 09:56:49縦
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