夜を恋する人
佐々宝砂

私の身体はやわらかい、
私の身体に剛い毛は生えない、
私の頬は滑らかで、
私の胸は満月の丸さ、
私の下腹には毎月ひとつの卵が生まれ、
そして死ぬ。

音もなく霜の降りる夜半、
私は三つ揃いの背広を着て、
赤いネクタイを締め、
四センチ背が高くなる靴を履き、
誰もいない河原で、
気障っぽく煙草に火を点け、
真っ白な煙を吐く。

私の骨盤は広く、
私の胴はくびれている。
何のために?
誰のために?

すがりつくものは何もない。
ただ満月だけが明るい。
吐き出した煙はとうに闇に融け、
私はひとり夜と向かい合う。
夜よ、
相手が何者であろうとも、
おまえは気にしないで呑み込む、
夜よ、
私を受け入れてくれるのはおまえだけだ。


(萩原朔太郎『戀を戀する人』のネガとして)



「戀を戀する人」 萩原朔太郎

わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた。
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。
(「月に吠える」より)



自由詩 夜を恋する人 Copyright 佐々宝砂 2004-09-05 23:57:33
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