面接
虹村 凌

 特に面白い事も無かった今日の業務を終えて、ロッカールームで着替える。館内全面禁煙、路上も全て禁煙なので、早いとこ駅前で煙草を吸いたい。何度か、外に出た瞬間に煙草に火をつけて、白い目で見られた事があるので、あまり吸わないようにしている。体は避けた、でも煙はぶつかった…なんてのはヤクザもんの因縁みたいだ。
 ロッカールームを出ると、職場の女の人がそわそわしながら立っていた。俺の面接の時の担当だった人である。
「お疲れ様です」
 彼女のドラマを想像しながら、軽い挨拶だけで済ませようとした俺に、彼女は
「あ、あの…」
 と話しかけてきた。残業の話だろうか?だったら嫌だ。俺は一刻も早く煙草が吸いたいし、缶珈琲が飲みたい。しかし、彼女のそわそわした態度が、普段見ない私服が、おぼろげにもドラマを連想させる。まさか、とは思うが、期待せずにはいられない。
「はい」
 俺は立ち止まり、散々どの返事をしようか迷った挙句、この返事をするのがやっとだった。
「あの…この後、空いてますか?」
 残業じゃないらしい。それどころか、何かあるらしい。でも期待は禁物だぜ、シフトの交代とか色々あるじゃないか。期待した時の肩透かしは、カウンターパンチみたいなもんだ。
「空いてますよ。」
 俺はそれだけ答えると、気付かれないように深呼吸をした。
「じゃあ…あの、ちょっとお茶でもしませんか?」
「いいですよ。じゃあ、俺が知ってる珈琲屋でいいですか?」
「はい。」
 それだけの会話を終えると、無言に戻り、若干気まずい空気が流れる。別に、この空気は苦手じゃない。俺は平気なのだが、相手はどうなのだろう。よくわからん。彼女が苦手なら、気を使って、この空気を換えねばならない。とは言え、何を話したらいいのか。自慢じゃないが、引き出しは多い方だと思っている。それだけに、わからない。あまり外すと、更に気まずくなる。さて、どうするべきか。無難なのは、本日の業務内容の事くらいだろうが、それもそれで無難過ぎる。すまない、嘘だ。会話の内容より、彼女の事が気になって仕方無い。何だろう、勧誘とかは本当に勘弁して欲しいが、まさかの逆転グランドスラムとかか?
 何時もより、若干階段を上る足音が大きい。力が入っているのか。そりゃあ緊張だってするだろう。一歩ずつ、足音が違う事に、俺自身が笑ってしまいそうだ。先に階段を上る彼女の表情は読み取れないが、ちょっぴり俯いているように見える。階段を踏み外しそうな気配は無いので、あまり後ろに立つ意味は無いかも知れない、と思った。
 本館を出ると、見慣れた裏通りの喧騒が広がっている。帰宅する社員やアルバイト、何かを搬入する人達、警備員、一般客。統一感の無いそれらが、それぞれの方向に向かって動いているが、誰もぶつかったりしない。シューティングゲームよりも綺麗な動きで、弾幕みたいな人間達をそれぞれが避けながら、歩いていると、いつも思う。その人ごみの中を、彼女と並んで歩く。相変わらず無言である。時折、他の人にぶつからぬように、前後して位置をずらす。普段、歩くペースは早い方だと言われているので、少しゆっくり目に歩いている。色々と、考える時間も欲しい。

 駅前の喫茶店は、あまり人が入っていなかった。この時間はこんなものかも知れない。俺は店員に二人だという事を告げると、階段を上がって二階の隅の席に彼女を通した。別段、何がある訳でもないが、この店で珈琲を飲む時は、ここで飲む事が多い。今日も、偶然にこの席が空いていただけだ。
 彼女の注文の後に俺はブレンドと灰皿を頼んだ。灰皿が付く前に、俺は彼女に断ってセブンスターに火をつけた。セブンスターの香りが広がる。
「私も、いいですか?」
 彼女は、長い沈黙を破って、そう言った。俺はどうぞ、とセブンスターを差し出すと、彼女はゆっくりと抜き取って、備え付けのマッチで火をつけた。ふぅ、と吐き出した彼女の煙が、ゆっくりと立ち上って、俺が吐いた煙と混ざって、天井でぶつかって散っていった。以前、彼女が休憩室でピースを吸っているのを見た事があるので、別伝意外では無い。
「話って、何ですか?」
 彼女が3回目の煙を吐ききったところで、なるべく冷静を装って、俺はゆっくりと聞いた。声のトーンが、いつもと違う。
「あの…」
「…」
「あの、いま、お付き合いしてる人って、いるんですか?」
 出た、まさかの逆転満塁グランドスラムだ。これは、どうした事か。落ち着いて素数を数える余裕も無い。素数が何だったか、広辞苑で調べたい気分ですらある。ウェイトレスが、二人分の珈琲と灰皿を置いて立ち去ったのを見てから、ゆっくり答えた。
「いえ、いませんよ。ここ数年いません。」
 最後の一言は余計だったかも知れないが、言ってしまったことはしょうがない。俺は半分も吸っていないセブンスターを灰皿に押し付けると、新しい一本を取り出して火をつけた。
「そうですか…意外です…」
 よく言われますよ、モテそうですってね。実際、そんな事は無いんですよ、と言いそうになるのを必死で堪えて、大きくセブンスターを吸い込む。彼女が放置したセブンスターは、灰皿の上でゆっくりと灰色になっていく。
「あまり、自分じゃわからないんです」
 俺はブレンドを少し、流し込んだ。唇が乾燥してきている。そして眠い。緊張すると眠くなる性質なので、今、非常に眠い。申し訳無いが、寝てしまいたい。大体、前に俺が告白した時も、半分眠りそうになっていたくらいなのだが、誰もこんな事は信じてくれない。
「あの…」
「はい」
「あの、私と付き合っていただけませんか?」
 出た。もう駄目だ、サヨナラ逆転満塁グランドスラム。猛烈に眠い。意識が一瞬、遠のいていく。どういう事だ。何かの罰ゲームか?だとしたら悪質だぜ。
「あの、駄目ですか?」
 どうやら俺の無言が長かったらしい。もしかしたら、本気で意識を飛ばしていたのかも知れない。俺はブレンドを一気に流し込み、セブンスターをもみ消すと、深呼吸をした。
「全然、駄目じゃないです。むしろ、すげぇ嬉しいんです。でもですね、えぇと。」
「…」
「正直な話をするとですね、嬉しいんですが、色々と疑問がありまして。
「はい」
「失礼ですが、本当に申し訳ないけど、罰ゲームとかじゃないですよね?」
「そんなんじゃ、ありません」
「ですよね。いえ、あの、慣れてないんで」
 慣れてようが慣れていまいが、不躾なのに変わりは無いが、ここら辺は重要だ。罰ゲームだったら、クビ上等で関係者全員を蹴り飛ばしに行ってやる。さぁ、ここで俺はこの場外ホームランに対してどう対処するべきか。
「それでですね、えぇと」
「はい」
「あの、俺、普通じゃないけど、いいんですか?」
「どういう事ですか?」
「説明すると、非常に長いんですけど」
「そうですか…」
「いや説明したくないんじゃなくて、本当に長いんです」
「…」
「じゃあ軽いところから、いきます。最初は、普通です」
「はい」
「見ての通り、煙草吸います。そんで止める気は微塵もありません。いいですか?」
「はい」
「それと、あぁ、どこから話そう。麻雀打ちます。仲間内だけですけど。」
「はい」
「でも他のギャンブルはしません。気まぐれで、パチンコに1000円突っ込むくらいです」
「はい」
「えぇーと、後は何だ。こう考えると、整理できてないのでアレなんですけど」
「…」
「申し訳ないです」
「大丈夫です」
「もうわかってると思うんですけど、変ですよね。」
「はい、ちょっと」
「これでもいいんですか?」
「…」
 ですよね、と心の中で呟いて新しくセブンスターを咥えて、火をつける。彼女に煙がぶつからないように、横を向いて煙を吐く。あぁ、眠ってしまいたい。
「あの…」
 彼女が小さな声で質問を投げかけてきた。
「あの、それだけですか?」
 ちっともそれだけじゃあ、ない。
「いえ、あのもうちょいあるんですけど…整理できてなくて何処から聞いていいものか…」
「あの、ちょっといいですか?」
「あ、はいどうぞ。」
「そういう事って、毎日の中で理解していけばいいじゃないですか」
 まさにその通りである。しかし、言いにくいんだが、うぅん。
「まぁ、そうですよね。」
「何か、いいにくい事でもあるんですか?」
「はい」
「実は、女の子じゃ出来ない、とか…」
「あ、いや、違います!若干二刀流寄りですけど基本的にノンケです!」
 勢いよく言ってしまった。
「くすっ…」
 わ、笑い事じゃない。そもそも笑えるのか疑問である。
「ま、まぁそういう事なんで、言いにくいのはそういう事じゃなくて」
「ふふっ…いえ、大丈夫ですよ。じゃあ、勃たないとか?」
「そこも大丈夫です」
「私はスカトロジストとかペドロとかじゃなければ、大丈夫ですよ」
「そうですか…じゃあ、多分、大丈夫です」
「まだ何かありますか?」
「あ、ん、うーん」
「浮気性とか?」
 いつの間にか、彼女と初めて会った時のように、面接官は入れ替わっていた。


散文(批評随筆小説等) 面接 Copyright 虹村 凌 2009-06-06 22:49:15
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