どこまでもどこへもどこでもなく
石川和広

草っていうのは
好きなことばのひとつです

あといくつか好きなことばがあるのですが

そこに石があってもいいし土も
あるだろうし水たまりもあるし
雨がふっていてもそれはそれで

場合によりますけどね
悲しいときに草を見ると
自分が今ここにいることが
何にも支えのないことのような
身体のおもさだけあって
それ以外はなんのかかわりもない
空間というかそういう囲いのなさみたいな
そういう

気づかされて
かろうじて感じていられるような

草が
そういうとき自分にとって目に入ってきた
ということは
覚えていますね
何年前のことかしらないですけど
緑の薄い、どういうんだろ
なんかヘラみたいに二〇センチくらい上にのびてるだけの
それが何本か

ずいぶん 前のことです

ひどく悲しいときにシミだらけのコンクリート塀の
横の細い道を歩いていてですね
その前にバスを降りました
大学にいってた頃ですか

バスに乗っている間に曇りから
どんどんむっとした感じの空気になってきて
大学のそばのバス停で降りたら
すごく爽やかな雨で、傘はもっていましたが
そういうのがあったって
何の支えにもならなかった

そういうとき雨つぶがぼこぼこのコンクリートの道に
いっぱい当たっててひどく田舎の学校で
河があり、むこうにはため池や田んぼや自分の大学があり

どうしてそんなに悲しかったのか
単位を落としたわけでも
そのとき授業があったわけでもないようです
だけど
大学に向って夕方わたしは歩いていました
歩けないような感じで
実際歩けていました

そのとき大学生だったか
もう卒業していたのか
ただ長い付き合いのある先生に
会いにいってたのかもしれない

その悲しみが何だったか

そのとき見えた草や
向こう側のクリーム色の家や
坂道がなんだったか

そこにいたわたしはなんだったか

どこまでもどこへもどこでもなく
そこでそのときなんです
けれども


自由詩 どこまでもどこへもどこでもなく Copyright 石川和広 2009-05-20 17:30:43
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