雨が降って春が溶けてしまう前に、街へ出よう
木屋 亞万

想像の桜はもっとぼんやり柔らかかったのに
僕の目には視界を占拠する粒が、桃色の粒として、
眼球の膜の中まで押し込まれてきそうだった
最近はほとんど写真でだけ桜を見ていたから
自分の目の画素数を少々侮っていたらしい

感性を解放するということは
世界を感じることであって
つまり自分を空っぽにすること
よく響く打楽器になることだ

涙を流さなくても、
大袈裟な反応を示さなくても
世界が染み込んできたら
空っぽの固い殻の心は浮き上がる
それを感動と呼んでもいいと思うのだ

楽しげな場所にいると、
楽しさ余って寂しさ百倍になる
楽しさの終わりを避けようとする意思が
楽しさを奪ってしまう春の陽気

黄緑色のフェニックス、の尾を繁らせた街路樹を見つけた
花だけの春ではない、殺風景の復活に心は鼓舞される
辛夷に桜に沈丁花、花も花とて風景を笑顔に

春の街、
梅の園はもう終わってしまって
桜の社は、明日の雨で散ってしまうだろう

さびしさは危機だ
生殖本能が刺激され、
体内を欲望が渦巻いている
その激しさのあまり、憂鬱過ぎて何もできない

春は、生命が活発になる
街は、新旧の入れ替わりの時期
心を空にして、風の影を歩けば、
更新作業は完了していく

今年も僕は世界にいる
何とか春に参加している
あなたも多分そうなのだろうね


自由詩 雨が降って春が溶けてしまう前に、街へ出よう Copyright 木屋 亞万 2009-04-14 02:17:18
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