修羅のひと
恋月 ぴの

ひとの気配に気付き上体を起こしてみると
逆光に髪の長いおんなの姿を認めた
それがあのひとの妻美佐子さんとの最初の出逢いだった

彼女について何かとあのひとから聞かされていたのと
私に用事があるひとなんてそうはいるはずが無い
昔からの友だちさえも見舞いの不便さに足は遠のいてしまい
病院の事務方からは今日明日にでもと退院を急かされたばかりだった

お加減はいかがかしら

愛するひとを失った喪失感と奇妙な昂揚に支配されていた私は
天井を仰いだまま彼女の問いかけには一切答えなかった
今にして思えばもう少し胸襟を開いて接するべきだったかも知れない
それでも申し訳ありませんと謝罪を伝えることは到底承服しかねる私がいた

今朝まで空だった花瓶には溢れんばかりの花が活けられている
お見舞いの花束
遠路遥々東京から抱えてきたのだろうか
そしてこの私に文句のひとつでも言いにきたのだろうか

お得意の口唇だけじゃ我慢できずにおまんこでも咥えたんでしょ

愛していたのかは別としても確かに夫を寝取られたおんなと
その男を愛しながら無理心中し損ねたおんな

生で精子出されて気持ち良かったのかしら

名家のお嬢様と聞かされた彼女の口を突いて出る直接的で卑猥な言葉

痺れるような快感に腰を捩じらす私を組し抱き
あのひとは子宮口を怒張したペニスで突き上げ射精を繰返した

今でも時おり膣奥から流れ出てきたものが下履きを汚し
死んでしまったはずのあのひとがお腹のなかで生き長らえている
そんな不可思議な感覚に捕われてしまう

経済事情なのか薄暗い通路で女の子の声がした
あの熊のぬいぐるみの持ち主
あのひとと美佐子さんとの鎹になるはずだった一粒だね
相思相愛だった記憶の証し

ひとり遊びに飽きたのだろう大声で母親を呼んでいる

男はもう願い下げだけど跡取り息子はどうしても欲しいの
だから男の子を孕んだのなら私宛に連絡してちょうだい

彼女はそう言い残すと病室の扉を閉じた

これも寒の戻りってことなのだろうか
首を竦めてしまう程に冷たい雨が線路上の視界を遮っていた
それでもこの待合室のなかは
いつもと変わらず外界から隔絶されていて
息苦しさと忌み嫌う澱んだ空気にさえも親しみを覚えてしまう

今日もあの女のひとの姿を見かけた
誰かに良く似た女のひと
引き摺るような足取りで普通電車に乗り込んでいった
何か思い煩っているようだった
一声かけてみれば良かったのかもしれない

そう言えばあの喫茶店を訪れてみよう
シューベルトの流れる純喫茶
今どき珍しい陶磁器製のミルクピッチャーが可愛らしくて
黴臭い古ぼけた椅子に深々と腰をおろし
愛するひとに先立たれたおんなの性に浸ってみたい



自由詩 修羅のひと Copyright 恋月 ぴの 2009-03-08 23:57:24縦
notebook Home 戻る