トリプトファンレス・トリプル
佐々宝砂

ここに俺がいると思うか思うなら挙手せよ
インターネット上に俺がいると思うか思うなら挙手せよ
あるいは印刷された紙に印字された文字に
夕方の台所に夜明けのシャワー室に
ビールが臭う真昼間のネットカフェに
世間から隔絶した本とビデオでごちゃまぜの八畳間に
俺がいると思うかこの俺がいると思うか思うなら忘れろ
言うまでもないが俺はそこにいない

ぎらりと朝日射し一般的に言えば爽やかな一日の始まり
俺は多層化してゆく俺をどうにかひとつにまとめあげ
唐突に一人称が「俺」のままだったことに気付き
あわてて「私」に変えようとするができない
そんな朝もたまにはあるのでとにかく
夢と現実区別がつかない寝ぼけた顔を洗って髪を結い
昨夜から作っておいた煮えすぎの味噌汁を食い
買ったときには白かったシャツを着て仕事に出かけ
などという日常を書いていいのだろうかと
平凡な問いが大脳皮質表面をりらりらまわるそれが今で

でもあのとき 時がのんべんだらりと続いたあのとき
夕方だか夜明けだかわからなかったあのとき
ゼリーのカップで生ぬるいチューハイを飲みながら裸で
触ると崩れる危なっかしい本の山のあいまで
俺が一人ではなく二人でもなくでも俺たちだったとき
俺は確かにあのときあそこにいたけれど

白紙の上に俺がいると思うか思うなら立ち去ってくれ
キリンのあごひげに俺がいると思うか思うならお願いだ消えてくれ
あざとく吠える隣の犬の舌細胞の星状体に
漂白しても落ちない茶渋の裏に
昨年街頭で配られたのをもらってきて
それきり忘れたままの使い捨てカイロの灰の内奥に
洗う気もなくしてしまった通勤快足靴下に
俺はいる いるけれどほっといてくれあるいはどうか
立ち去ってくれそして俺のことを考えるな俺は
傍観する傍観する傍観する あなたがたはただ行動せよ


自由詩 トリプトファンレス・トリプル Copyright 佐々宝砂 2004-08-06 05:42:13
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