幼年
渦巻二三五

樹皮から生まれた
雨の夜に生まれ
落ちた
気がつけば土のなかにいて
根の森のなか
迷わず
根の細い方へ向かった
沈んでいった
――海も陸も底は暗い

まどろみながら
土と根とにひたすらに養われた
いのち絶えて土に吸われ消えていったものもあったが
消えていったものがいるということも知らず
歳月というものも知らず
根の森のなか
脱ぎ捨てたいくつものからだ
わすれつづけ
生きることにのめりこむ
――海のものもそうしたもの

それでも脱ぐ度に
細い根を太い方へたどり
もどってきていた
知らず知らず
――つまりは「居心地」による

ある日、思い出す
いや、思い出したのではなく
ただひらめいたのかもしれない
「上」のことを
自分が「上」からきたことを
そうではない
ただのぼりたかったのだ
のぼらずにはいられなかったのだ
根の森がうとましくてたまらなくなった
というわけでもなく
――人魚の姫などにしても

どちらが上なのかがわかる
それだけはわかる
上、まっすぐ上
根の集まったその先は太く空中にそびえていたが
そんなことは知らない
知っていたのははるか昔
わすれてしまった

溺れそうになりながら土を掻く
くずれないように尿と唾液で塗り固め
美しい穴ができた
つながったのだ
極楽につながる穴
額に空気が落ちてくる
なにもない
なにもない穴の底
つながっている
さわさわと気配だけが流れ込み
そそのかす
――それは波というものであったりする

「上」に行かなくては
「上」に
地上に出るといよいよ苦しいのは
まだだからだ
もっともっと
爪をかけてのぼる
力尽きるまでのぼる
空気にさらされた体が乾く
こびりついた泥が乾く
養われ蓄えたものが
背中から抜け出す
静かに
乾いていく

たよりない空気のなかで
初めて見た
見るということを知った
見えなかった幼年を忘れた
自分がどこにいるか見える
じりじりといたたまれない思いに
また上を目指す
そこに快楽があるのがわかる

捨ててきた幼年の殻のこともわすれた
激しく身にあふれるものに
耐えられなくなる
おとなになるとは欲情すること
欲情して番うこと

からだが震えるとそれは大きな呼び声となった
いや、呼ばれたのだ
遠くで激しく呼んでいる
からだが乾いていく
呼んでいる
空気が世界を揺らし
からだが宙に浮く

ふたたび生まれ
落ちた
一瞬ののち
飛んだ
――人になった人魚の姫が初めて歩む

なにもかも見えた
のは束の間のこと
あわてて近くの木に取りつく
おそろしかった
しっかりとしがみつき
口吻を突き立てて吸った
やわらかな根からではなく
太い幹から

呼び声に包まれている

呼ばれている
呼ばれている
じりじりとせかされる
からだが乾いて
乾いて
木の汁を吸う

夜と昼とを知った
世界のすべてが欲情していた
こたえはわからなかった
番いたい番いたいと願いながら
身の内に蓄えるものはなにもなかった
太い幹にしがみつき
口吻を突き立てた
なつかしさは
たぶんない

めまぐるしく繰り返す
昼の数と夜の数
ぜんぶわすれた
おそろしいものがやってきて
なんども逃げた
その度になにもかも見えた

呼ばれても呼ばれても
こたえなかった
自分から呼ぶことはできなかった
――そういえば人魚の姫も

とうとう出会わなかったので
番うこともなく
満たされぬ欲情を抱え背中から
落ちた
生きていたこともわすれた

雨の夜
翅が震えた
土を撫でた
――還るところだけは決まっている



自由詩 幼年 Copyright 渦巻二三五 2003-09-14 20:37:47
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